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「コロナ」の名誉回復が必要だ
海外旅行の関係で休載していたが、無事に帰国できたので、再開することになった。もう少し遅ければ、日本からの入国が制限されたり、帰国時に2週間隔離されるといった事態も考えられた。
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旅先では日本国内には入っていない外国製の車も多く、国産車でも日本国内向けとは違った車種が走っているので、極力記録する様にしている。
中国・武漢で発生したウイルス感染症である“武漢肺炎”が、世界的な感染拡大となっている。旅先の国々では、“Wuhan Virus”との表記が通例で、観光施設への入場に際しては体温測定して、OKシールを貼って貰わないと入場禁止される。
ウイルス感染と無関係な発熱でも、通関手続きで感染を疑われれば足止めを食らうのではないかと、いつもの旅行よりも神経を使った。
SARSの時も、中国・広東省が発生源であったが、忖度して中国の地名をこの感染症名に含めずに、「重症急性呼吸器症候群」とか曖昧な名前を付けたが、今回もWHOの事務局長が、発生源の中国に忖度して「COVID-19」と曖昧な名前を付けた関係で、国内では「新型コロナウイルス」と呼ばれている。
現在の武漢肺炎の後に、新たなコロナウイルスが原因の感染症が発生すれば、「新型コロナMKIIウイルス」とでも呼ぶつもりか。
コロナウイルスは、ウイルス粒子表面のエンベロープ(膜構造)が花弁状の長い突起(S蛋白、約 20 nm)であり、コロナ(太陽の光冠)に似ていることからその名が付けられた。(ウィキペディアより)
現在は、「コロナホテル」や「コロナビール」といった、本来は「太陽の光冠」の意味の、美しいネーミング由来の企業名や商品名が、イメージを大きく棄損されていることは残念でならない。
さて、ここでようやく「コロナ」にたどりついた。一世を風靡したトヨタ「コロナ」である。
トヨタは当初、「クラウン」、「コロナ」、「カリーナ」、「セリカ」、「カムリ」といった「C」で始まるネーミングの車種を展開していた。この伝統を破ったのは「パブリカ」だと記憶している。
「コロナ」は日産の「ブルーバード」とのライバル関係で「BC戦争」(ブル・コロ戦争)と呼ばれたC・Dセグメントに属する。
「コロナ」をメインネームにしたシリーズは、1957年7月に登場した。
11代目にあたるT210「コロナプレミオ(CORONA PREMIO)」(1996~2001)までの、初代(1957~1960)から10代目(1992~1996)までを、「コロナ」としている。
初代T10は「ダルマ・コロナ」と呼ばれ、2代目(1960~1964)T20/30は「ティアラ・コロナ」と呼ばれていた。
2代目はボディ剛性の問題もあり、悪路ではガラスが外れるとまでの酷評をされた。
時まさに日本が飛躍的に発展した1964年東京オリンピックの年の9月、2代目の汚名を雪ぐべく、3代目(1964~1970)として登場したT40/50は、メーカーは「アローライン」と謳ったが、世間では斜め上向きの独特なフロントグリル形状から「電気カミソリ」と呼ばれていた。
この3代目コロナは1500cc 4ドアセダン、4灯ヘッドランプのモデルで、価格は64万8,000円。
1964年当時の学卒初任給は2万1,200円だったが、2018年のそれは21万100円。
初任給は9.91倍と、およそ10倍になっているので、単純に計算すれば、現在ならおよそ650万円と、非常に高価であった。
酷評されたボディ剛性、耐久性の評価を払拭すべく、トヨタは開通直後の名神高速道路で10万キロの公開耐久テストを実施したりして、汚名返上に努めた。
それまでブルーバードの後塵を拝していたコロナは、3代目にしてようやく評価を得て、1965年1月に初めてブルーバードを販売台数で追い抜き、国内販売台数首位を1968年にカローラに譲るまで、ベストセラーカーの座を守った。
その裏には、市場での商品価値・評価を獲得する為に、従来のタクシー車両の規格を上回る寸法で設計し、監督官庁に働きかけて、3代目コロナの寸法までを規格サイズとする様に改定させるといった、従来では考えつかない様なアプローチもされたと聞く。
名車「コロナ」の名誉の為にも、変に忖度した「新型コロナウイルス」とか云った名前はやめて欲しいものだ。(記事:沢ハジメ・記事一覧を見る)
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