車種選択にあたって検討する内容 その1

2022年12月21日 11:17

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Photo:1964年5月ホモロゲーション取得の為にスカイライン1500のホィールベースを延長してグロリアの2000ccエンジンを搭載、日本GPで活躍した時代も ©sawahajime

Photo:1964年5月ホモロゲーション取得の為にスカイライン1500のホィールベースを延長してグロリアの2000ccエンジンを搭載、日本GPで活躍した時代も ©sawahajime[写真拡大]

●個人で車を買う場合の選択要因

 自身が保有する「自動車を選択」する際には、出来るだけ客観的に、総合的に判断するはずだ。

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 購入車両の決定要因には、その会社の歴史、技術レベル、国内シェア、海外シェア、レースやラリーの実績、株価、サービスネットワークの充実度、展開車種のあり方、資本系列、会社の社会に対する貢献度、組合活動の状況、経営者の資質等々と数え上げればキリがない。

 加えて、友人知人が保有する車の評価や、その担当ディーラーに対する印象・感想も参考になるし、自身が信頼している評論家の意見等が参考になるだろう。

 大袈裟に「地球環境」だの「CO2排出」なんてテーマで、大上段に振りかぶられては如何ともし難い。自身が勤務する会社の資本系列や、親族・友人知人等の世間のしがらみも無視できない要因であることは確かだ。

 その銘柄のリセールバリュー(中古車になった際の評価金額)等も無視できない。

 勿論、個人的な好みの問題は大きな要素である。例えば本田宗一郎氏の生き方に共感して、若い頃からホンダ車が好きだという人も少なく無いはずだ。

 また、担当する営業マンの人柄が気に入って車種を決めるケースも稀では無い。

 しかし全く白紙の状態から、家族構成や居住環境、ライフスタイル等から車種を選定するなら、自然体の車種選択が可能となる。

●経営者の資質

 日産が経営不振に陥った際に登板したカルロスゴーンの採った対策は、本来「日本のまともな経営者」であれば、決して採らない極めて冷酷非情な方策であったと、筆者は考える。

 敢えて言えば、あんな手法が許されるなら、彼以外の人物の方が、もっと簡単に業績回復は実現できたであろう。少なくとも、彼の手腕に対する「過大な人件費」部分だけでも無駄であるし、独断専行した経営判断で事業方針の足を引っ張られることも無かった。

 敢えて例示すれば、例えば複数の事業所のうちの何カ所か閉鎖せざるを得ない場合、「まともな日本人経営者」の場合は、閉鎖される事業所の従業員を、存続させる事業所で収容することを想定して、従業員の配置転換を進める。

 各府県に事業所が点在する場合には、他の事業所に集約し難いロケーション拠点の廃止か存続かを検討する場合には、極力従業員の事情も勘案して決定する。

 結果として一部の従業員が、子女の教育環境や親族の介護等の事情で、転居等の対応不能で辞めざるを得なくなるにしても、最大限の配慮をするのが、日本の経営者である。

 京都に有った事業所等が閉鎖されたと聞いた際には、耳を疑った。拠点が多い関東エリアへ引っ越すか単身赴任せよと、嫌なら辞めろと宣告したのも同じだ。

 カルロスゴーン場合は、自らの野心と金銭に対する欲望が判断のベースであり、幾多の従業員の生活に少なからぬ犠牲を負わせ、取引先企業に多大の迷惑をかけた末に、結果的には日産を食い物にして海外逃亡した。

 個人的な意見だが、組合が過度に強い企業にロクなところは無い。

 会社側が組合の横暴に対抗できずに、ライン従業員がスマホを持ち込んで組み立てている近隣国の車がまともで無いのと同じだ。

 1947年に立川飛行機出身者により設立された「東京電気自動車」が、1949年に「たま電気自動車」に改称。1952年に「プリンス自動車工業」となり、1966年に「日産自動車」と合併したが、その技術は連綿と生き続けていた。

 そんな技術を誇る名門の日産も、労働組合の過度な関与で弱ったところに、カルロスゴーンの登板で、ガタガタにされてしまった。

 優秀な技術を持った企業だけに、残念な結果である。

●テスラを評価しない訳

 筆者がテスラに対して信頼感を持てないのも、イーロンマスク氏の経営スタンスが容認し難い為である。

 ロシアのウクライナ侵略に際して、スターリンクを無償開放して支援を続けた以外に、共感できる場面が無いのだ。このスターリンクも、一時有償化を仄めかしたが、これが彼の本音であるとするなら、人間的に評価したくない。

 Twitter買収後の人員整理のあり方にしても同様で、こんな割り切りで「人命を預ける乗り物」である自動車を供給する。

 そして何等かの事故が発生しても、「事故発生率」の数値の一部であり、最終的には金銭で解決すれば良いと考えているなら、自動車事業に携わる資格は無い。

●自動車メーカーには社会的責任がある

 常々筆者が、「自動車メーカーの倫理性」を述べ、「あるべき姿は“事故率を軽減する”のでは無く“事故ゼロを目指すべき”だ」と唱えるのは、自動車は「命を託している」乗り物だからである。

 国産車メーカーの、現場の人間は技術職も営業職も必死に頑張っている。協力企業も同じく努力を積み重ねている。

 この努力を結実させるのも、水泡に帰す結果とするのも経営者の責任なのだ。(記事:沢ハジメ・記事一覧を見る

続きは: 車種選択にあたって検討する内容 その2

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