関連記事
三菱スペースジェット納入が6度目の延期 (3) 「YS11」の轍を踏むな!
「スペースジェット」(画像: 三菱航空機の発表資料より)[写真拡大]
三菱重工業は6日に開催された20年3月期第3四半期(19年4~12月期)決算説明会で、「スペースジェット(旧MRJ)」の初号機をローンチカスタマーである全日本空輸(ANA)へ納入する時期が、これまで計画していた今年の半ばから来年度以降に延期になることを正式に発表した。
【前回は】三菱スペースジェット納入が6度目の延期か (2) ”終わりの見えない戦い”に展望はあるのか?
飛行に必要な型式証明(TC)取得へ向けたステップは、配線関係を主とする900件以上の設計変更を盛り込んだ10号機の完成に手間取り、中断していた。6度目となる延期を発表した今回は、今までのように具体的な期限を定めず「21年度以降」として、顧客であるANAや国土交通省と十分に協議しながら決定するようだ。21年度は22年3月末までなので、想定される納入時期は2年後である22年の半ばということか。
同時にスペースジェット関連資産の再評価を20年3月期通期に反映させて、1753億円の費用を損失計上すると共に、ほぼ同額となる繰り延べ税金資産1780億円を計上するため、純利益予想は従来予想を若干(100億円)下回る1000億円(対前期比1.3%減)に据え置かれた。
2008年に三菱重工業が旧MRJ(三菱リージョナルジェット)の開発を発表した時には、日本の産業界に歓喜が広がった。戦後日本が驚異の復興を遂げても、高度成長期に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と日本式経営システムを称賛する声が上がっても、何故か半信半疑で率直に喜びを実感できなかった日本人に、「日本は本当に復活した!」と感じさせるインパクトが旧MRJの発表にはあった。
戦前、航空機大国として華々しい地歩を築いた日本の航空機産業は、太平洋戦争の敗北で翼をもぎ取られた。日本の再興を恐怖した連合国軍最高司令部(GHQ)は航空禁止令を発令し、日本中の航空機を廃棄して航空産業を解体し、大学の航空力学講座すらも閉鎖させた。
その後徐々に行われた規制の緩和に合わせて航空機産業が再度の胎動を見せたものの、「飛べない飛行機」と揶揄されたYS11が型式証明を取得したのは、戦後19年を経過した前回1964年の東京オリンピック直前だった。
大難産でようやく誕生したYS11機だったが、各方面で無理を重ねて製造された機体であったため、商業的な成功は得られなかった。官民が共同で設立した特殊法人の日本航空機製造は、発足初期から半官半民のマイナス面が露呈する問題を抱え、販売不振のまま赤字が累積する悪循環を脱出できず、1982年に解散の憂き目を見るに至っている。
「デジャブ(既視感)」を感じるのは切ないが、スペースジェットの度重なる納入延期報道に接するたびに、連想してしまうのは止むを得ないだろう。
スペースジェットに与えられた最大の任務は、型式証明を早急に取得することだ。そして、スペースジェットで収益を計上するためには、現在抱えている受注残の数倍となる機体を納入した上で、メンテナンスとサービス部門を連動させる必要がある。
ピーク時には450機を超えていた受注残が、キャンセルが続いて既に287機にまで縮小している現状では、黒字化は夢物語だ。型式証明を取得して商業運航が始まることがゴールではない。収益を計上できない赤字事業のままでは、YS11のつけた轍(わだち)を抜け出せずに、悪夢の再来となってしまう。(4)に続く。(記事:矢牧滋夫・記事一覧を見る)
スポンサードリンク