「トヨタは正常」であるのか? (2) 「資本独裁政権の時代」?

2019年10月25日 10:42

印刷

(c) 123rf

(c) 123rf[写真拡大]

 結局のところ、トヨタの秋の労使交渉は「満額回答」で終わったそうだ。これもまだまだトヨタの余裕を示していると同時に、社員の甘さがにじみ出ている。そもそも、企業が満額回答できるレベルしか要求していないからだ。

【前回は】「トヨタは正常」であるのか? (1) 前代未聞の秋の労使交渉

 トヨタに「年功序列」の制度が残っていると見られているが、それは確かに残っているのであろう。しかし、それを「どう評価するのか?」については、「悪習慣」として切り捨てるのではなく、「どの程度残せるのか?」と考えるほうが正解であると感じる。

 半世紀前、日本の高度成長期の中では「労使交渉」を「団体交渉」と呼び、春・夏・冬と3回のストライキを伴った激しい闘争をしていた。「企業側、団体交渉担当取締役」として見てきた世代には、現代の労働組合が「骨抜き」とされただらしのない姿と映っている。要するに、トヨタの労働組合が「満額回答」を得られる程度にしか要求していないのが驚きなのだ。

 「労組の対立が激化したら、中小の企業はつぶされる」と見ていたのが、半世紀前の企業経営者の常識だ。高度成長時代で「人手不足」が常態化しており、年功序列に頼らなくても、正社員として仕事に就ける社会情勢だった。

 労働組合は会社経営陣と鋭く対立し、労働組合幹部の人間は、会社側から見れば「首にしたい」最有力社員であった時代だ。そして会社側は、労働組合員に影響力のある人間に対して、法律の網を潜り抜け「解雇の理由を探す」か、「買収」して組合もろとも「御用組合」として会社の支配下に置くことを狙ってきていた。

 これらは日本全体として成功し、「団体交渉」つまり「労使交渉」を行うには労力が必要で、その間生産性も落ちることから、年間1度に制限して、ストライキもしない組合を作り上げてきたのだ。

 それ以前には、労働組合の要求は、現代の「株主」が要求する「配当」のように企業の存続を危ぶむレベルの高い要求となっていた。つまり、企業の存続よりも目前の配当を労働組合は要求していたのだ。しかも、ストライキを打つことも当然として。

 しかし、それは企業の高度な成長に支えられたため、そこそこ実現されてきていた。その間に「大人しい組合」を作り上げることに成功していったのだ。

 その当時は、春になると国鉄(現在のJR)を筆頭に、私鉄各社も必ずと言ってよいほど毎年ストライキに入っていた。筆者は高校生で、「江ノ電」で通学していたのだが、毎年「今日はストライキか?」と学校が休校となるので楽しみにしていた。

 現在は、「物言う株主」「外国人経営者」などが高額の配当や報酬を得ているのに、国民の可処分所得は下がり続けている。日産自動車のカルロスゴーン元会長の報酬などを半世紀前の労働組合が聞いたのなら、間違いなく「解任と社員のベースアップ闘争」となっていたであろうと考える。

 どちらが「民主的」であるのかと問われれば、間違いなく半世紀前の姿であると答えるであろう。現代を「資本独裁政権の時代」と名付けよう。間もなくトヨタが正常であるのか?の答えは出るであろう。どちらにしろ期待はしていない。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

関連キーワード

関連記事