関連記事
【コストカッター、カルロス・ゴーン(1)】1999年、日産がトヨタに敗れた訳
■日産のコストが高かった理由
日産は、1980年代ぐらいまでグローバル企業というよりは、日本国内でトヨタとシェア争いを繰り広げていた状態だった。もちろん、トヨタと競うように北米に売り込んで貿易摩擦を起こしてきていたが、その足場はそれまでは日本国内にあった。創業期以来トヨタと競合してきて、車種もそれぞれ競合状態にあった。有名なのは「B・C戦争」と言われたもので、「ブルーバード(日産)とコロナ(コロナ)」のシェア争いだった。
【こちらも】カルロス・ゴーンは、ルノー・日産・三菱の経営統合を決めていた?
その後、大衆車である「サニーとカローラ」の争いになり、1980年代に入ると、バブル景気に沸く中「シーマ現象」と言われる、小型車枠を超える高級車ブームを起こしていた。トヨタもセルシオで対抗し、日産はさらにインフィニティを発売して、トヨタと日産どちらも引くことはなかった。そしてバブル経済がはじけると、日産は一気に赤字転落となって行き、ついには資金繰りに詰まるようになってしまった。
一方、トヨタはその後も苦戦しながらも発展していくことが出来たのだが、この差は一体何なのか? それは、長年の「コスト体質」にあった。「コスト体質」とは、自動車製造産業において、大部分は「造り方」によることとなる。日産のコスト高であったときのメカニズムは、フォード方式から抜け出せていなかった状態だったのだ。
■トヨタバンク(トヨタ銀行)と言われ、日産は借金となる訳
バブル崩壊で減産に入ってもトヨタは利益を出し続けたが、日産は赤字を出すようになっていった。企業経営では、常に売り上げ上昇とはいかない。社会状況によっては、減産になることも覚悟しなければならない。特に、日産やトヨタなど大衆車から高級車までフルラインナップで車種をそろえる企業では、社会の景気の影響を受けやすいと言える。
日産、トヨタともにクラスごとの車種でまともに競合していた。そのため、価格は市場価格で相場が決まっており、安いほうが売りやすいに決まっている。市場値段で競合する場合、コストで勝負が決することとなる。日産はトヨタに比較してコストが高かった。それは、「造り方」にムダが多かったからだ。特に、材料を仕入れて造り始めてから、売り上げてお金になるまでの【リードタイム】が長かった。すると、材料からの在庫期間が多く、資金がそれだけ社内に寝ていることを示していた。材料・中間在庫・完成在庫とリードタイムが長いほど在庫量は多くなり、それはとりもなおさず「札束(資金)」が眠っていることと同じになる。日産はまだ完全な「多種少量生産」ではなく、フォード方式から抜け出せていなかったのだ。
カルロス・ゴーンが赴任して、日産発祥の地、村山工場を閉鎖したときの日産社員の衝撃は、いかほどのものだったであろうか。「日産、敗れたり!」との実感が走り、筆頭株主ルノーを背景とした、ゴーンの絶対権力を思い知らされたことだろう。
一方、トヨタは「かんばん方式」を独自に編み出し、「ジャストインタイム」を掲げて、生産リードタイムを短縮していった。それは、社内在庫を劇的に少なくすると同時に、保管場所(土地)・倉庫設備(建物・クレーンなど)・運搬設備(クレーン、フォークリフト、トラックなど)・人員など、莫大な資金を節約することが出来ていた。これで次の車の開発資金は潤沢となり、借り入れを起こす必要もなく、むしろ銀行業務ができるほど資金に余裕が出来ていた。単品コストに注目しがちだが、「資金量」に着目すると、「トヨタのかんばん方式」が世界の製造業に広がっていったことがよく理解できる。ここに、「グローバル発注」と「下請け」の「長所、短所」の論点がある。
次は、自動車産業の争いのポイントを考えてみよう。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
スポンサードリンク