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フェルディナンド・ポルシェの世界 EVも4WDもすでに研究されていた
ポルシェ356・コンバーチブルD (c) 123rf[写真拡大]
「ポルシェを知らずしてスポーツカーを語るな」と言われるくらい、車の歴史を紐解くと、ポルシェは最高のスポーツカーを作り続けてきた。フェルディナンド・ポルシェ博士の天才たるゆえんだ。戦後、息子のフェリー・ポルシェの手で造られたのが、現在の911シリーズにつながるポルシェ・356だった。
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フェルディナンド・ポルシェの大きな汚点として伝わるのは、ナチス・ドイツつまりヒトラーとのつながりだった。ヒトラーは当時、政治家として国民の支持を得るため高速道路アウトバーンと国民車を計画した。その国民車が後のフォルクスワーゲンとなって実現した。モデルチェンジをせずに大量生産することで、当時高根の花であった自動車を身近なものとして、国民に示したのだ。これは自動車の大量生産の始まりで、ロット生産であり、T型フォードと同じ構想であった。
その後、戦争に突入したナチス・ドイツは、ポルシェに軍用車や戦車の開発を命じて、フェルディナンド・ポルシェは戦争に加担してゆく。戦後、一時はナチス協力者として拘留されていた。しかし、フェルディナンド・ポルシェは政治について全く興味はなく、車を造るためにヒトラーに資金援助を求めて近づいただけだった。
実は、フェルディナンド・ポルシェ博士は、1900年には「ホイールインモーターのEV」を作っており、「HVのホイールインエンジン」も発明している。また、当時4WDもすでに作っており、その天才ぶりを知ることができる。
戦後、息子フェリー・ポルシェによって再開されたスポーツカー作りは現在もますます盛んで、最近ではEVに移行しようとしている。911シリーズは相変わらず人気を保ち、電子コントロール電磁式多板クラッチPTM(ポルシェ・トラクション・マネージメントシステム)という最新の4WDシステムを送り出してきた。「911カレラ4 GTS」などだが、現在では911シリーズの約半数が4WD車であるという。
「カイエン」や「マカン」などフロントエンジンモデルが売れているようだが、未だにニュルブルクリンク最速のスポーツモデルは911となっているのは、フェルディナンド・ポルシェ博士の偉大なところなのであろう。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
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