中興の祖:鹿島守之助没後50年、揺るぎない経営地盤の鹿島株とどう取り組むか

2025年3月22日 09:41

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 鹿島建設(1812、東証・名証プライム市場、以下鹿島)。改めるもなく大手ゼネコン、最大手グループの1社。

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 2021年3月期/22年3月期とも厳しい環境下でも「5.2%減収、3.6%営業減益/9.0%増収、3.1%営業減益」と底堅く潜り抜け、その後増収・増益に転じ今3月期計画は昨年11月/今年2月に2度の上方修正。「7・7%増収(2兆8700億円)、5・7%営業増益(1440億円)」予想。ちなみに21年3月期の4円増配54円配から今期予想の14円増配104円配まで、連続増配。

 至27年3月期の中計は「成長投資1兆2000億円程度」⇔「純利益1300億円以上(24年3月期比13%増)」を掲げ、「ROE10%超(既に22年3月期以降上回っている)」「配当性向40%を目安」としている。着実な歩み「宣言」である。

 ホームページを覗くと「年代別実績」「ex25年2月実績」が微細に記されている。月刊「KAJIMA」も発刊。2月号では「鹿島中興の祖(詳細後述)」とされる、「鹿島守之助 没後50年」が特集されている。

 実は鹿島も「経営の危機」に身を晒された時期がある。

 1930年代半ばのこと。

 鹿島守之助は、1896年に兵庫県の旧家:末富家の四男として生まれた。中高時代は、世界の文学書を読み漁ったという。

 現東京大学を卒業後、外務省に入省。1927年に鹿島精一の長女と結婚。イタリア大使館勤務を経て退官。「政界の革新と理想選挙を希望」し無党派候補として、立候補。が、落選。これを機に学究生活に身を転じた。「世界大戦原因の研究」で、1934年に東大から法学博士の学位を授与。外国史・国際問題の学究に取り組み始めた。

 そんなタイミングで鹿島は経営不振に。かねて鹿島精一に「家業の継承」を依頼されていた守之助は、こう語り鹿島再建に足を踏み入れた。

 「自信を失い、皆が困っている時に、養子にきた大黒柱が逃げたら、とんでもないことだ。やりましょう」(『わが経営を語る-理解と創造-』)。

 鹿島守之助は、詳細は他に譲るが「事業成功の秘訣二十カ条」を掲げ再建と取り組んだのである。爾来、今日の鹿島の経営基盤確立を進めていったのだった。

 本稿作成中の株価は3100円トビ台、予想税引き後配当利回り2.7%水準。昨年8月安値2165円から今年3月高値3242円まで買い戻された後の揉み合い場面。ちなみに過去9年余の修正済み株価パフォーマンスは、2倍強。IFIS目標平均株価は算出者の6人中6人が強気の、3575円。さて、どう取り組か・・・(記事:千葉明・記事一覧を見る

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