存亡の危機 辛坊治郎氏を救った、新明和工業・US-2救難飛行艇

2020年9月8日 07:22

印刷

 かつてニュースキャスター辛坊治郎氏ら2名を救助した新明和工業のUS-2の持つ、世界で傑出した日本の飛行艇技術がいま消えようとしている。海上自衛隊・US-2(救難飛行艇)は、日本が誇る「水陸両用飛行大艇」とでも言える、大飛行艇だ。その性能の凄さは、なんと言っても3mを超える波でも可能な離着水能力だ。かつて、辛坊氏ら2名を救助した時の着水能力で実証されている。あの時の波は、最大4mになっていたようだ。

【こちらも】消防庁、消防飛行艇の予算を試算 初期費用は380億円

 日本のUS-2を、ロシアの純ジェット飛行艇ベリエフ・Be-200と比較するとその性能は明瞭になる。Be-200の離水可能波高1.2mに対して新明和・US-2は3.0mと、2倍以上の能力差がある状態だ。また、離水距離はBe-200が1,000mに対してUS-2は330m、着水距離はBe-200が1,300m、US-2は330mと、Be-200 を始めとする世界の標準性能とは桁違いの性能を新明和・US-2は誇る。

 しかもこの能力は、多少の差はあれ新明和・PS-1から引き継いでいる、いや太平洋戦争前からの新明和工業の前身である川西航空機の川西・九七大艇、川西・二式大艇から引き継がれ、蓄積されてきた技術であることが重要だ。その飛行艇技術、つまりいま世界で唯一と思われる技術が消えようとしている。後継機の開発が始まらないのだ。

 インドに輸出する話もあるが、7年を経てもまとまらない。このままでは飛行艇は必要がないとなってしまう。

 辛坊氏は救出された当時、「この飛行艇がなければ私の命はなかった」という趣旨の発言をしている。また、「私たち2人の命を救うため数百人の人たちが動いてくれた」とも語っている。救難飛行艇の働きはシステムであり、多くの人の協力がなければ実現しないものであることは確かだ。辛坊氏がジャーナリストの立場であることを考慮して、より踏み込んで指摘すれば、彼らの冒険心の後始末に多くの国民の税金が使われたとも言えるのだ。

 この点について、辛坊氏の「公の批評を受け持つジャーナリスト」としての反省が感じられない。冒険は自己責任だが、後始末を他人に頼んだのであれば「反省」が足りないのではないか。

 新明和工業の飛行艇開発の過程を半世紀以上前から知る者として、日本の飛行艇技術は独特のものだ。「着水する」という発想そのものが、「戦艦大和」と同じく「無用の長物」となりつつある部分が広がっていると筆者は理解している。「対潜哨戒機」としては、現在海上自衛隊のP-3Cが着水せずに十分な対潜能力を持っている。

 哨戒・救難機としても、アメリカのオスプレイ(Bell Boeing V-22 Osprey)がヘリコプターと固定翼機の両方の性能を持っており、ホバリングが出来ることから着水の必要のない範囲では、新明和・US-2よりも能力は高いと言えるようだ。しかし、辛坊氏を救い出すことは、あの時の状況からするとUS-2にしか出来なかったと見るべきであろう。

 それは、オスプレイは巡航速度こそ500km/hとわずかにUS-2の470km/hを上回るが、航続距離についてはUS-2が4,700kmでオスプレイは1,627 kmしかない。辛坊氏たちを救い出すには現場が1,200km厚木からは離れており、少なくとも3,000km程度の航続距離は必要であった。US-2は現場に到着して、1時間ほども滞空出来る救助時間の余裕があった。これが、辛坊氏が恩恵を受けることの出来たUS-2の技術的性能だ。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

続きは: 辛坊治郎氏を救った、新明和工業・US-2救難飛行艇 「1人の命も犠牲にしない」決意

関連キーワード

関連記事