デサントと伊藤忠の主導権争いに決着、伊藤忠の小関氏がデサント新社長に

2019年3月25日 20:57

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 18年10月に発売された週刊文春に「伊藤忠のドン岡藤会長の"恫喝テープ"」という”文春砲”が炸裂して表面化した伊藤忠商事とデサントとの不協和音は、3月14日のTOB(株式公開買い付け)成立によって既に大勢は決していた。

【こちらも】何故、伊藤忠商事はデサントに”敵対的”TOBを仕掛けているのか? (3-1)

 伊藤忠は、18年6月に岡藤会長自らのデサントに対する申し入れが不調に終わったため、デサント株の買い増しを進めていたが、その後もデサントが抵抗姿勢を緩めないため1月末にはTOBの実施を発表するに至った。これに対して、デサントが伊藤忠によるTOBの実施に反対を表明したことで、日本の大企業による前例のない”敵対的”TOBとして社会的な関心を集めていた。

 伊藤忠の保有するデサント株は、18年10月には29.8%に達していることが確認されていた。1月末に伊藤忠が発表したTOBの条件は、直前の株価から5割増しの2800円という好条件で、40%まで買い付けるというものであった。

 15日に発表された買付状況によると、伊藤忠の買付予定株数が721万株であったのに対して、2倍を超える1511万株の応募があったようだ。これで日本初といわれる大企業同士の敵対的TOBは成立し、勝負がついた。

 その後は実務的な役員構成の協議に移り多少の曲折を見せながらも、当初から伊藤忠が要求していた伊藤忠出身2名、デサント社内2名、社外取締役2名という構成に落ち着いた。現在の石本雅敏社長(56)は退き、後任社長に伊藤忠の小関秀一専務執行役員(63)が就任することが発表された。

 伊藤忠はかねて中国市場の将来性に注目し、韓国に軸足をおいていたデサントに対して中国市場に対する積極的な展開を促していたが、両社の思惑のズレを埋められなかったことも今回の事態に至った一要と受け止められている。

 新社長となる小関氏は伊藤忠の祖業である繊維畑の出身で、中国駐在経験を有する適任者と捉えられている。社長に就任した後は中国市場への積極的な姿勢を鮮明にするものと見られる。

 デサントと伊藤忠は共同で、1964年に「マンシングウェア」というゴルフウエアの国内販売を開始して以来、デサントの大きな苦難を伊藤忠の支援を受けながら乗り切って来たビジネスパートナーだと傍目には見えていた。

 石本雅敏氏の父である石本恵一氏が社長を伊藤忠の出身者に任せ、3人目が社長に在任中の12年12月に恵一氏が亡くなった。その3カ月後の13年2月、伊藤忠に事前の相談はおろか連絡もなしに、デサントの取締役会で伊藤忠出身社長の退任と当時常務だった石本雅敏氏の社長昇格が決議された。

 この件に関して、伊藤忠の方から問題視する発言は特になかったようだが、大人の態度を見せながらも、内心に秘めた思いはあったであろう。同じころ、デサントの内部には取引先との間に、伊藤忠を絡ませようとする動きに憤慨する声も出ていたという。

 どこかで発生したボタンの掛け違いの影響が、10数年のあいだ両社のわだかまりとして存在していたと見てもいいだろう。

 今回のTOBの後遺症を懸念する声もあるが、今まで抱えてきたわだかまりを思えば、目に見えるだけに対応策は選びやすい。今回の事例が両社の風通しを良くすることを願うのみである。(記事:矢牧滋夫・記事一覧を見る

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