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「あおり運転」の原因を作るマナー違反(2) 日本の法律を読む訓練をせよ
■小・中学校教育で、英語よりも優先して法律を教えない不思議
この追い越し車線を走り続ける違反(通行帯違反)の法律には、「追い越し車線を何キロ走ったら違反」とは書いていない。これは社会ではよくあることだが、その目安を必要としてしまうのは、法律を読むことに慣れていないがための愚問なのだ。
【前回は】「あおり運転」の原因を作るマナー違反(1) 追い越し車線を走り続け、車線をふさぐ違反
この誤解を解くには、小学生から学校の勉強で、「法律の読み方」を英語よりも優先すべきだろう。物事を単純化して理解したがり、また「違反行為をしたい」がため、「目安」を欲しがる人情があるのが人間だ。そのため、他の法律でも良くある話となる。また、警察をはじめ役所自体が管理をしやすくするため、「目安」を決めていることも多々ある。そのための誤解が各所に起きている実態がある。
法務省なども反省しなければならないところだろう。税務署では事務の簡素化、管理の簡素化などのために、どこかに「基準値」を定めたくなるようだ。そして困ったことに、間違った法解釈を監督官庁そのものがしており、「役所の都合を国民に押し付け」て、役所が「パワハラ」などを起こしているのが実態として多くある。これでは国民すべてが勉強しなければ「違法行為」はなくならない。それは、「監督官庁」自身が「違法行為」を誘発させていることになるのだ。小・中学校から「法律」の学科を新設すべきではないだろうか。
しかし、憲法学習も法律学習も「教科」として定めることをしない。この問題は別の記事に譲るが、日教組などとの関係など、時の政府の、国民に知られたくない理由などが絡まって、いびつな教育となっていることも原因だ。「金融教育や英語教育よりも、日本国の憲法、法律の読み方を教えない異常さが」日本国にはある。「時の権力」と言うものは、「国民を無知にしておきたい」ものだ。法体系には矛盾が多くあり、それは当然のこととして議論をしていけばよいことなのだが、避けて通りたいのだ。
さて、本題に戻るが、追い越しをかけたのだが、追い越しをかけられた車がスピードを上げてしまったのなら、追い越し車線のクルマはスピード違反をしてでも追い越して走行車線に戻るか、追い越しを諦めて走行車線に戻るのかの判断しなければならない。つまり、どの様な違反もしないのならば、また元のように戻るしかないのだ。迷惑なのは、「速度が一定しない前車」ということだ。つまり、一見違反をしていないようなのだが、悪気なく一定速度で走れない運転者が「あおり運転」を誘発する運転者の一人なのだ。
次は、普段の心構えとの関係を見ておこう。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
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