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猛者達が築き上げたソニーG IFIS目標平均株価は時価より48%上値
プルデンシャル生命の不正事由がメディアを賑わしている。ニュースに接していて、一人の御仁の顔・声を思い出した。ソニーグループ(6758)の生みの親の一人であり、ソニーグループが100%の株式を保有するソニーフィナンシャルグループ(8729)を実質上興した故盛田昭夫氏である。盛田氏は天国でどんな顔をして、今回のプルデンシャルの一件を聞いているのだろうか。
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拙著「ソニーまでも金融機関をもってしまった」(1988年、かんき出版刊)で、盛田氏に数日間にわたり取材の機会を得た。かいつまむと、こんな内容を記している。
<1958年、東京通信工業がソニーに社名を変更した。井深大社長と盛田副社長は『企業グループを作ろう。グループには金融機関がつきもの。金融機関を持とう』を改めて確認した。60年代終盤には主力:三井銀行(当時)のスタッフを導入し銀行立ち上げのプロジェクトチームも組成した。が銀行への道は限りなくゼロだった>。
<盛田はソニー製品の米国市場深耕のリーダー。『トランジスターラジオを初めソニーの製品は砂漠に水のように、米国市場に吸収されていった』。ニューヨーク株式市場に日本企業初のADRを上場したこともありソニーは米国企業として受け入れられた。盛田は、IBMの社外重役にもなった>。
<同じIBMの社外重役でソニーの大株主でもあった、プルデンシャルの時の会長:ドナルド・マクノートンが77年にソニーに立ち寄った。よもやま話が続く中で盛田はマムノートンにこう語りかけた。『(ピンと感じ取るものがあったので)日本に進出するのなら、ソニーはバックアップするぞ。生命保険は素人だが、マーケティングはプロだからな』と。銀行進出の壁に立ちはだかれ、生保という形でソニーが金融機関を手にしていく全ての入り口だった。盛田は時間をおき、マクノートンに『実は生保には興味があるんだ』と伝えた>。
<79年8月10日、1対1の合弁会社としてソニー・プルデンシャル生命保険が誕生した。詳細は省くが生保の優劣を決める代表的な物差し:総資産は着実に増加していった。プルデンシャル側から『ソニーの持株を売って欲しい』と非公式な打診があった。盛田は一言も返さなかった。時間の経過は『全株をソニーで買い取ってくれ』となった。盛田は「OK」した。『円満離婚。既に市場に根を張った生保が手にできる』と盛田は言い切った。こうして昨年再上場したソニーフィナンシャルグループの長男:ソニー生命が生まれた>。
凄腕の男たちによって築き上げられてきたソニーグループの本稿作成中の株価は3500円台半ば円。過去9年余の修正済み株価パフォーマンス5.56倍。IFIS目標平均株価5248円。さて・・・(記事:千葉明・記事一覧を見る)
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