その国に「自動車」が定着するまでの差とは

2024年1月17日 15:42

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日産はオースチンをノックダウン生産した ©sawahajime

日産はオースチンをノックダウン生産した ©sawahajime[写真拡大]

  • でっかいボディの米国車が、ガイシャのイメージだった ©sawahajime
  • 1977年登場の4代目ファミリア (画像提供 マツダ)

 一国が「自動車」を生産する能力が備わるまでには、「一定の年月」と、それなりの「自動車がある生活経験」がベースに無ければならないと言うのが、筆者の考え方である。結論から言えば、新興国に「まともな自動車」を生産する事は、短時日では無理だと考えている。

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●日本の自動車産業

 日本の乗用車は、当初は完成車輸入から始まった。

 その後、国産車を生産する前段として、ノックダウン生産(外国車の構成する部品を全て輸入して、国内で組み立てる方式)からスタートする。

●ノックダウン生産の乗用車

 トヨタのみは、完全国産を目指してノックダウン生産方式は採らなかったが、日産はオースチン(英)、日野はルノー(仏)、いすゞはヒルマン(英)をノックダウン生産する事からスタートした。

●自前の国産車

 その後個人でも、無理すれば自家用車が保有出来る時代となり、「マイカー」ブームが到来する。

 ノックダウン生産で、「自動車造り」のノウハウを学んで、各社は自社製の車造りの段階へとステップアップする。日産はダットサン、日野はコンテッサ、いすゞはベレル。

 今は乗用車生産から撤退したが、トラックメーカーの日野といすゞが目立つ。ホンダやマツダ、スズキの歴史は長いが、乗用車に関しては後発のメーカーである。

●「外車」に対する憧れ

 国産車に対して輸入車は「ガイシャ」と、憧れを持って見られていた。

 それは、途上国から先進国を眺める様な、コンプレックスから来たのだろう。ヨーロッパやイギリス製の車は、国産車の小型車サイズである、全長4,700×全幅1,700×全高2,000と、排気量2,000㏄(ディーゼルを除く)にも近い。

 しかし米国車(アメ車)は、でっかい車体と大排気量エンジンで、国産車とは一線を画す存在だった。

●新車発表方法の変化

 メーカー広報の大きなイベントとして、新車発表会と、評論家試乗会がある。

 その昔、メーカー各社は新車を発売すると、何台もの試乗車を準備して、専門紙誌や評論家に個別に貸し出しして取材対応をしていた。

 しかしこの方式だと、複数台数が試乗出来なかったし、スケジュールが後になる媒体には不都合が生じた。

 そこで会場を確保して、そこに新発売した試乗車の多数を持ち込み、関係者に参集して貰い、現場で時間割試乗リストに順次希望媒体を割り振る事にした。そうすれば、いろんなタイプや塗色の写真撮影も試乗も可能となった。

●評論家に訊ねてみた

 そんな会場で、参集した各媒体の記者、編集者、評論家に、「車両価格も維持費も無視して欲しい車を3台挙げて見て」と問いかけると、大多数の回答には、ベンツが入っていた。1970年代の事である。

 当時ベンツは、自動車造りのひとつの目標だった様に思われる。

●実車での比較

 1977年に登場した開発ナンバー「X508」の4代目ファミリアは、「ミディ・コスモ」と称して、鳴り物入りで市場導入された。

 当時の、同クラス国産車レベルを超える充実した車だったが、身内の「アラ捜し」を某ディーラートップ連中とやった事があった。多分X508の開発ターゲットに属するであろう「VWゴルフ」と並べて、比較したのだ。

 そこで指摘されたのは「ドアの開閉音」。開く際の音は大差無いが、閉じた際の音にはVWゴルフにはかなわなかった。こんな所が、車造りの歴史の差なのかも知れない。

●当時の開発陣を想像すると

 1970年頃の国内自動車メーカーで、開発の中心となった管理職クラスが、新卒入社した筆者より15~20歳年長だと考えると、身近に車があった人はどの程度いたのだろう。

 筆者は恵まれていて、幼少期から既に車好きな父親が保有していた。1950年代の米国の自動車雑誌や、「自動車工学」みたいな専門誌も手許にあった。

 父親が厳格だったので、免許を取得するまでは、エンジンがかかった運転席には決して座らせてくれず、免許は大学1年の夏休みに自動車学校に通って取得した。

 しかし同期入社した仲間には、自動車メーカーに就職したのに、免許証を持っていない奴もいた。入社当時、開発の中心であった人達は当然、少年期に車に親しんだ例は極めて希だったろう。

 もしかしたら、近くの引っ越しは、トラックでは無く、荷車だったかも知れない。

●車先進国との差異

 当時の国産メーカーの開発責任者と較べてみたい。

 例えば米国メーカーの開発責任者は、彼の両親がドライブインシアターで愛し合ってこの世に生を受けたのかも知れない。DNAに刻まれた、車に親しんだ期間の記憶の差である。

 ホンの十数年前まで、人民服を着て、自転車で通勤していた、車に親しんだ期間が少ない人たちに、「まともな自動車」が造れるのかは、容易に想像がつくと思う。

 たとえ、内燃機関エンジンが造れずに、「手近にあるモーターとバッテリーを見繕って」仕立て上げた代物のEV車であったにしても、「自動車」は簡単に造れるものでは無い。

 歴史に裏打ちされた、技術の蓄積のあるメーカーの「自動車」を選びたいものだ。(記事:沢ハジメ・記事一覧を見る

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