関連記事
同じ轍を踏まないために、改めて「バブル相場」の何故を振り返る
「不動産バブルの予兆」など内外の「バブル」を警戒する論や記事をしばしば耳にし、目にする。日本人はとりわけ1900年代終盤に咲いたバブルの「仇花」-その後の崩壊/苦節の時代を体験しているだけに、バブルの3文字に敏感になっている。
【こちらも】投信も「産地直送」の時代?
さて平成最後の日経平均株価は2万2258円(4月26日)で終えた。元号が昭和から平成に変わった1989年1月8日時点では既に3万円を超えていた。そして12月の終値は3万8915円。年間で8000円以上、上昇した。株価は平成の30年余で25%超の下落となったことになる。
4月26日付けの日経電子版は「日本版株式の再生なるか 経営と運用、平成の宿題」とする見出しで、令和の株式市場(復権)に不可欠な背景・在り方を提示している。その書き始めの「平成元年、東京証券取引所の株式時価総額は世界最大だった。平成最後の取引となった26日には4位に転落している」に、あらためて考えさせられた。
正直に告白すれば、私も「バブル相場」に酔っていた一人である。突如登場した株式投資雑誌にギャラで頬を張られ駄文を記し、雑誌の表紙にまで顔を曝け出した。言い訳以外何物でもないが「証券会社」「企業」「(株式)評論家諸氏」も、3万8915円を「一通過点」とし「4万5000円、いや5万円」論が幅を利かしていた。
私の記憶ではそうしたバブル相場に「?」を呈したのは、当時のシティグループの1社:スミス・バーニー証券の東京支店長だった伊藤稔氏だけである。日付までは覚えていないが日経新聞の「大機小機」欄に、こんな内容を記した。「株価の異常な上昇を牽引しているのは、過度な先物買い。実際に利益を享受している投資家は皆無に等しい。疑問を感じる」。が、無視された。
手元に1989年4集(秋)号の会社四季報がある。巻末に「増資予定企業一覧」が掲載されている。時価発行増資・転換社債発行・ワラント債発行・無償増資(現、株式分割)を計画している企業の一覧である。その総数780社。バブル景気に酔った野放図な増資=株数の大幅な増加は、断るまでもなく時価総額を膨らませる。結果、時価総額世界最大となったわけだ。
バブル期の反省の声は、いまは聞かれる。だが令和の株式市場のあるべき姿を論じる声は未だ少ない。その意味で各位には前記の4月26日付けの日経新聞:松崎雄典証券部次長のWeb版記事を、是非読んでいただきたい。バブル酒に酔いしれることなく3万8915円の奪還のあるべき道程を探るためにも、である。(記事:千葉明・記事一覧を見る)
スポンサードリンク
関連キーワード