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ラリー専用のスーパーカー「ランチア・ストラトス」 華麗な姿のすごいやつ!
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スーパーカー時代に、ベルトーネによってデザインされた「ストラトス ゼロ(Stratos Zero)」は現代で見ても、そのスタイリングはセンセーショナルなものだ。「stratosfera(成層圏)」から名付けられたように未来的デザインであった。
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ランチア・ストラトスとして発表されたのが1974年。その姿はラリーカーそのもので、1974年から1976年まで、今、トヨタが参戦している世界ラリー選手権(WRC)で3連覇を成し遂げた。その勝利がいつまでも続くと思われたとき、ランチアの親会社であったフィアットがフィアット・131アバルト・ラリーで参戦することを決め、ランチアの参戦を取りやめてしまった。
それは販売戦略上の都合であったが、131アバルト・ラリーを見たとき、「つまらぬ車にしたものだ」と正直感じてしまった。全長3710×全幅1750×全高1114mm/トレッド前1430×後1460mmと「ラリー専用車」であることは明白だった。前後ダブルウィッシュボーンで、車重は1トンを切り、ブレーキは油圧2系統が用意されていた。エンジンは、フェラーリのディーノ246GT用の2.5L・V6DOHCをラリー向けに低速でトルクを発揮できるようにデチューンされ、横置きミッドシップにレイアウトされた。
当時のラリー専用車として、これほど強力なものは考えられなかった。しかし、ストラトスの市販モデル、「ストラダーレ」は1974年に販売が開始されたが、全く振るわず492台で生産は終了されてしまった。
しかし、「販売不振」との見方そのものが、この車にはふさわしくはない。それは「ラリー専用車」といってよい出来上がりで、日常の使用には全く適してはいなかった。量産にしたのもホモロゲーションのためであり、売る気などあるはずもなかった。またそれでよかったはずだ。現代のニッサン・GT-Rよりも、もっと非日常的であり、ラリー車として使う以外、使いようもなかった。
ベルトーネのデザインで登場し、ラリー専用車として活躍した。「販売不振」とみる見方では「ストラトス」を理解することはできまい。初代スカイラインGT-Rがヒーターもラジオもなく、またパワーアシストなど何もない仕様で売られていたことを思い出してほしい。やはりホモロゲーションを目指していただけで、売る気などなかったのだ。これも「名車」が生まれるには必要な環境なのだ。
もし、この車を作るに際して、利益率を考えるなら、ランチア全体、WRC全体のイメージアップ効果を金額に置き換えなければならない。これが投資効果を求める戦略経理の誤りだ。SONYの衰退と、ホンダがグローバル企業になったことの危うさを感じる。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
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