【作家・吉田龍司の歴史に学ぶビジネス術】真田昌幸・幸村と「サンクコスト」の罠

2016年6月21日 10:34

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記事提供元:日本インタビュ新聞社

■ドライな『渡り者』だった戦国武将たち

 「あっこの会社は見込みがないな」・・・よくある転職の契機であり、株式投資ではよくある売りの転機である。戦国時代の武将たちも同じようなものだった。「この殿様はダメだな」、「従ってると損をするな」と思ったらさっさと見限り、ほかの殿様に寝返った。忠義をうたうような、儒教的な「武士道」は基本江戸時代以降に生まれたものである。当時の武士の感覚は非常にドライだった。越前の朝倉宗滴という武将は「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」という、今のビジネスマンに通じるような名言を残している。

 当時の武士はあちこちの主家を渡り歩いた者が多かったため、『渡り者』とも呼ばれた。藤堂高虎という人は何度も主家を変えたことで有名だが、「主が悪ければ家来は暇をとって当然」、「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」といっている。この言葉通り高虎は何度も『転職』を繰り返し、最終的に津藩(三重県)32万石の初代藩主となった。

 戦国の武士は「犬畜生」であり「渡り者」であって当然だった。何しろわずかな選択ミスが即命取りになってしまうのだから。何しろすべての武士の頂点だった足利将軍もないがしろにされた下克上の時代なのである。信長は尾張守護・斯波氏、家康は今川氏をそれぞれ離反してのし上がった。秀吉にしても最初は今川氏に仕えて織田氏に転職、信長死後は世継ぎ候補を殺したり、追い落としたりして織田家を乗っ取っている。

 現在放送中のNHK大河ドラマ『真田丸』では、真田幸村(信繁)の父である真田昌幸が草刈正雄氏の好演で脚光を浴びている。昌幸も巧みに従属先を変えて乱世を泳いだ男である。  昌幸は武田の家臣だったが、天正10年(1582)の武田氏の滅亡後、織田→上杉→北条→徳川→上杉と次々に帰属を変えて、同13年(1585)に豊臣家臣に収まった。生き残るために『取引先』を転々と変えた昌幸。その行動を見る上で注目したいのが「サンクコスト」(埋没費用・sunk cost)という考え方である。

■誰もがとらわれる「ここまでやったのだから・・・」という呪縛

 例えばあなたが評判の映画を観に行ったとする。ところが上映後20分で恐ろしくつまらないことがわかった。オチも見え見えだ。終演までまだ2時間ある。この場合、どうしたらいいか。

 多くの人は惰性でそのまま観続ける。「チケット代も払ったし、20分観たのだし、まあいいか」というわけだが・・・経済学から考えると、正解は「とっとと映画館から出ましょう」となる。これからの2時間という時間を無駄にしないために。

 このケースではチケット代と、費やした20分がサンクコストである。これにとらわれるのが人間の心理だ。うまくいかないことがわかってるのに、人は「ここまでやったのだから・・・」とついつい考えてしまう。これぞサンクコストの呪縛である。

 他の例を見よう。長年求婚した相手がいたとする。デートに誘ったりプレゼントを贈ったり相当な金銭の負担もあった。しかし、どうも脈はないようだ。ここまでの時間と費用がサンクコストだ。でもここは「ここまで努力したのだから・・・」という想いを振り切るべきなのだ。要するに、回収できないコストは忘れるべきなのである。

 企業でも「ここまで投資してきたのだから・・・」という赤字事業はないだろうか。株式投資でも、いつまで経っても上がらない長期保有株はないだろうか。サンクコストの呪縛に引きずられ、ずるずると損失を広げないうちに、やはり損切りするのがベストなのだ。

 株式投資はよく長期投資が王道、というが、これもケースバイケースで、時間をかければ必ずしもリスクが軽減されるというわけではないのである。もちろんディーラーのような投資を勧めているわけではないが、サンクコストの呪縛を意識し、常に最低限の目配りはした方がいいだろう。

 情勢が激しく変化していった戦国時代。昌幸や高虎はこのサンクコストに敏感なビジネスマンだったのだ。「ここまで仕えてきたのだから・・・」とあるじにこだわり続けてしまえば、元も子もなくなってしまうから、彼らは『渡り者』となったのである。

■ビジネスマンとしては対照的だった真田父子

 なお真田幸村はサンクコストとは無縁の人だった。幸村は秀吉の直臣となった後、関カ原の戦いに敗れ、父とともに高野山麓の九度山に流罪となった。その後、豊臣秀頼の招きに応じて豊臣家に『復職』し、大坂の陣で奮戦空しく敗死している。

 大坂の陣ではかつての豊臣恩顧の武将たちはすべてサンクコストの呪縛から逃れ、家康に味方した。大坂城攻防戦のさなか、幸村は家康にその実力を認められ、味方になるよう勧誘された。ビジネスの観点からいうと、もちろん幸村は秀頼を裏切るべきである。しかし幸村はかなりの好条件(一説に信濃一国)が提示されたにもかかわらず、首を縦に振らなかった。

 一応付記しておくが、戦国時代に「武士道」はなかったのだが、鎌倉以来の「弓矢(武家)の道」という武家道徳は存在した。武家には守るべき倫理、作法、礼儀があるとする考えで、武士道の原型といってよい。つまりこの時代は実力主義というホンネと、弓矢の道という建前が並立していたのである。これはまったく現代社会と一緒だ。

 幸村は弓矢の道に殉ずる決意をし、「実」より「名」を取ったのか、それとも家康必殺の一発逆転の秘策があったのか、その辺はよくわかっていない。結局、世の中には損得や経済学だけでは計れない人もいるということであり、幸村という人が考えていた『成功』とは、また別のところにあったのかもしれない。

(作家=吉田龍司 『毛利元就』、『戦国城事典』(新紀元社)、『信長のM&A、黒田官兵衛のビッグデータ』(宝島社)など著書多数)(情報提供:日本インタビュ新聞社=Media-IR)

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