コスモスポーツを買いそびれた

2025年4月13日 20:28

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 Photo:初めて自分で購入したファミリア1200クーペ (画像提供 マツダ)

 Photo:初めて自分で購入したファミリア1200クーペ (画像提供 マツダ)[写真拡大]

  • Photo:就職先の決め手だった世界初の2ロータースポーツカー コスモスポーツ (画像提供 マツダ
  •  Photo:結局初めて手に入れたRE車は、色も同じカペラロータリークーペだった (画像提供 マツダ)

 今回は昔ばなし。

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 当時、新卒入社した文科系の卒業生は、販売研修制度と言って、傘下のディーラーへ販売実習に出された。

 1年目は1年先輩がチーフとなり、同期生2名が部下となる3名編成で販売実習をし、2年目はチーフとなってプレーイングマネージャーとして活動する。

●1年生で購入した車

 本社での新入研修終了後、1年目には千葉県のディーラーに赴任した。

 研修生は、10月まで自分の車を持てない。10月になって、早速ファミリア1200クーペを購入した。

 広島から自動車運搬船で千葉港に届いた車なのに、県下の店頭価格の方が57万円と東京店頭価格より2万円も高くて、納得行かなかった。

 研修生の期間、ゼロの月こそ無かったが、最初の頃は台数が伸び悩んだ。

 しかし地道に訪問活動をした結果、12月、1月、2月、3月は連続でプロパー営業マンを抑えて、出向先全社のトップセールスとなった。

 そのまま同じ会社に出向となれば、1年間で築いた顧客との関係で、左うちわで活動できた筈だったが、2年目は別の会社への出向が決まった。

●2年目の出向先

 2年目は別の、都内のディーラーに出向して、プロパーを部下に持ってプレーイングマネージャーをやった。

 2年目のディーラーでは、当初持たされた部下は、整備部門を希望して入社したが、会社側が「営業の知識も必要だから」と、無理やり営業部門に配属したメンバーだった。

 その結果、10日も経たない間に、同じ理由で不本意な配属に嫌気がさした同期入社の数名と、一斉に退職して郷里に帰ってしまった。

 会社側は、急遽経理部門の若手とかを営業部門に配置転換して、員数合わせをした者が部下になったが、営業職に向いていなくて苦労した。

 部下が4カ月連続でゼロだったので、神戸に帰郷した際に乗るからと、店頭在庫の新車を1台義理買いした事もあった。

●就職先決定の最大要因のローターロータリーエンジン車

 この都内ディーラーで営業活動中に、コスモスポーツが下取りになる商談が発生した。

 1967年5月30日に世界初の2ローターロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツが発売された。

 コスモスポーツがレンタカーで登録されたと聞いて、早速父親に頼み込んで、チャーターして試乗したが、自家用車を乗りつけてレンタカーを借りに来たので驚かれた。

 ゼミの教授から就職先として打診され、ロータリーエンジンが決め手で就職した因縁の車だ。

 是非欲しいと思って、実家の父親に架電し、購入したい旨を伝えたところ、父親から「最近、営業成績はどうだ?」と聞かれた。

 「まずまずだ」と答えると、「何が良く売れている?」と聞かれた。

 「一番良く売れるのは軽トラックだ」と答えると「幾らの車だ?」と聞く。

 「31万円程だ」と答えたら、「コスモスポーツは幾らする?」

 「新車価格で148万円」。

 すると、「お前は148万円の車で31万円の車を売りに行くのか?」

 そう言われて、参ったと思った。

 結局、このコスモスポーツの購入は諦めたが、やはりロータリー車に乗りたいので、1970年に発売されたカペラロータリークーペを買った。

 コスモスポーツは10Aエンジンだが、カペラロータリークーペは12Aエンジンで、排気量も一回り大きかった。

 85.5万円の車だが、これなら何とか父親にも言い訳がたった。

 尤も、1970年の学卒者平均初任給は39,900円で、2024年は226,341円。5.67倍だから、換算すると485万円になり、これでも結構な高額車だ。

 しかし、148万円のコスモなら839.2万円だから、中古車で価格が下落していても、スポーツカーでの営業活動は、やはりお客には失礼だったと反省し、納得した。

 多分コスモスポーツを購入していても、現在まで維持し続けてはいないだろうとは思うが、その時は非常に残念だった記憶がある。(記事:沢ハジメ・記事一覧を見る

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