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コスモスポーツを買いそびれた
今回は昔ばなし。
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当時、新卒入社した文科系の卒業生は、販売研修制度と言って、傘下のディーラーへ販売実習に出された。
1年目は1年先輩がチーフとなり、同期生2名が部下となる3名編成で販売実習をし、2年目はチーフとなってプレーイングマネージャーとして活動する。
●1年生で購入した車
本社での新入研修終了後、1年目には千葉県のディーラーに赴任した。
研修生は、10月まで自分の車を持てない。10月になって、早速ファミリア1200クーペを購入した。
広島から自動車運搬船で千葉港に届いた車なのに、県下の店頭価格の方が57万円と東京店頭価格より2万円も高くて、納得行かなかった。
研修生の期間、ゼロの月こそ無かったが、最初の頃は台数が伸び悩んだ。
しかし地道に訪問活動をした結果、12月、1月、2月、3月は連続でプロパー営業マンを抑えて、出向先全社のトップセールスとなった。
そのまま同じ会社に出向となれば、1年間で築いた顧客との関係で、左うちわで活動できた筈だったが、2年目は別の会社への出向が決まった。
●2年目の出向先
2年目は別の、都内のディーラーに出向して、プロパーを部下に持ってプレーイングマネージャーをやった。
2年目のディーラーでは、当初持たされた部下は、整備部門を希望して入社したが、会社側が「営業の知識も必要だから」と、無理やり営業部門に配属したメンバーだった。
その結果、10日も経たない間に、同じ理由で不本意な配属に嫌気がさした同期入社の数名と、一斉に退職して郷里に帰ってしまった。
会社側は、急遽経理部門の若手とかを営業部門に配置転換して、員数合わせをした者が部下になったが、営業職に向いていなくて苦労した。
部下が4カ月連続でゼロだったので、神戸に帰郷した際に乗るからと、店頭在庫の新車を1台義理買いした事もあった。
●就職先決定の最大要因のローターロータリーエンジン車
この都内ディーラーで営業活動中に、コスモスポーツが下取りになる商談が発生した。
1967年5月30日に世界初の2ローターロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツが発売された。
コスモスポーツがレンタカーで登録されたと聞いて、早速父親に頼み込んで、チャーターして試乗したが、自家用車を乗りつけてレンタカーを借りに来たので驚かれた。
ゼミの教授から就職先として打診され、ロータリーエンジンが決め手で就職した因縁の車だ。
是非欲しいと思って、実家の父親に架電し、購入したい旨を伝えたところ、父親から「最近、営業成績はどうだ?」と聞かれた。
「まずまずだ」と答えると、「何が良く売れている?」と聞かれた。
「一番良く売れるのは軽トラックだ」と答えると「幾らの車だ?」と聞く。
「31万円程だ」と答えたら、「コスモスポーツは幾らする?」
「新車価格で148万円」。
すると、「お前は148万円の車で31万円の車を売りに行くのか?」
そう言われて、参ったと思った。
結局、このコスモスポーツの購入は諦めたが、やはりロータリー車に乗りたいので、1970年に発売されたカペラロータリークーペを買った。
コスモスポーツは10Aエンジンだが、カペラロータリークーペは12Aエンジンで、排気量も一回り大きかった。
85.5万円の車だが、これなら何とか父親にも言い訳がたった。
尤も、1970年の学卒者平均初任給は39,900円で、2024年は226,341円。5.67倍だから、換算すると485万円になり、これでも結構な高額車だ。
しかし、148万円のコスモなら839.2万円だから、中古車で価格が下落していても、スポーツカーでの営業活動は、やはりお客には失礼だったと反省し、納得した。
多分コスモスポーツを購入していても、現在まで維持し続けてはいないだろうとは思うが、その時は非常に残念だった記憶がある。(記事:沢ハジメ・記事一覧を見る)
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