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カルロス・ゴーンが批判した司法制度 (1) アメリカとは逆、「無罪主張」では保釈されない
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カルロス・ゴーンが批判する数々の日本の司法制度に関することの中で「問題あり」と思わせるのは、やはり保釈審査の基準だ。例えば日本はアメリカとは逆で、「無罪」を主張すると保釈されず投獄が続く。アメリカでは「罪を認める」と保釈されない。そのポイントは、「推定無罪」の原則だ。
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日本の司法制度には、『世界人権宣言11条1項、市民的及び政治的権利に関する国際規約14条2項』の侵害が懸念される。つまり、冤罪を防ぐための「有罪が証明されるまでは推定無罪」という人権の基本的立場が日本の司法制度にはないのだ。
日本で「無罪主張」をする人は、自分の主張をしたために投獄され、「罪を認めたら帰してやる」と言われ、前時代的拷問のような状態に置かれる。そのため、痴漢容疑などにおいては「被害者の証言」に頼り、同じように警察が容疑者に自白を強要して冤罪を生んできた。
この考え方は日本の司法制度全般に行き渡っており、裁判所においても、民事でさえ「和解すればこの訴訟は終わります」と和解を強要される。だから、「訴訟したほうが勝ち」とばかりに弁護士が報酬目当てに原告に訴訟を促すことが、堂々と行われてきた。民事裁判の現場で実際に目撃している事実だ。
大した損害がないのであれば、告訴されたほうは費用と心労を考え、ウソであっても飲み込んでしまう。このようなことが基本的な司法の体質としてある。つまり裁判所も役人であり、「手間暇をかけずに裁きたい」ことが最優先となり、真実を追及したり正義を求めたりする考えがないがしろにされている。
日本の司法制度は「きっちりとしている」のだが、その運用においては「人権侵害の恐れ」があるため「人質手法」と呼ばれる所以だ。長く投獄することで自白を強要するのだ。そのため、公には注目されない民事・刑事事件では「闇に葬られた」冤罪は数知れずと見ておいたほうが良い。この実体に対しては、いずれ機会を見て記事にしなければなるまい。
カルロス・ゴーン被告が、カネに任せて日本の司法制度を無視して逃亡したことに許せない気持ちは、日本人として当然ある。しかし、ゴーン被告の立場から考えてみれば、日本の司法制度が信頼できないと感じるのも「仕方ない」と言える。
日本人としては悔しいが、世界標準の、しかも1948年12月10日の第3回国際連合総会で採択された『人権宣言』に背いていることを、日本の司法当局は認めて改めてほしいものだ。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
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