【カルロス・ゴーン逃亡? (2/2)】日産は国民の主権が届かないグローバル企業?

2020年1月4日 12:02

印刷

 保釈保証金の15億円だが、カルロス・ゴーン元会長クラスの経済人ではこの程度は問題としない金額である。そして、レバノンには、数百億円程度の金額であれば、ゴーン被告を支援するために出資することをいとわないスポンサーがいることだろう。

【前回は】【カルロス・ゴーン逃亡? (1/2)】「事実は小説より奇なり」 日本の司法制度批判

 個人的人脈での支援者であったのか?国家規模の組織的な支援であったのか?今後、明らかになってくるのであろう。その意味で、これからカルロス・ゴーンのような国際経済人を日本企業に迎え入れることは、国際問題となる可能性を考え、企業レベルでは責任を持てないことを覚悟すべきだ。何らかの規制を設けることが必要なのかもしれない。

 さらに、グローバル経済、新資本主義は「民主主義」を崩壊させることにもなるのであろう。グローバル企業は国家権力を超え、国家に対して主権を有する「国民の主権が届かない」現実を、今回の事件は見せつけている。

 日本人として、フランスに雇用を持っていこうとするフランス・マクロン大統領の思惑を座視することは出来ないことは、理解できる。なんとしても日本の雇用を守るべきだ。しかし同時に、日本の司法の「人権侵害」と疑われるシステムを改めることが必要だ。警察の取り調べに際しては全て録画して「可視化」し、弁護士の同席を認め、長期の拘留を認めない運用も必要だろう。

 さらには裁判も、公判の議事録に当たる書記官の「謄本」を唯一(または最有力)絶対の証拠とせず「録画」などで可視化して、その運用について国民に意識させるべきである。『裁判官の独立・不可侵』を守ることは民主主義の基本だが、人間の「脳機能」に由来する技術的問題もあり、「裁判官の偏向」をチェックできる仕組みも必要だ。

 また、グローバル社会を認識するのであれば、司法制度を人権優先にするレベルにしなければ、日本は民主主義の国とは言えまい。今後、日本の司法制度改革に関する議論では、より被告を犯罪人として扱う方向への圧力が検察側から高まるであろうが、日本社会の民主主義の熟成を願う気持ちでいっぱいだ。

 そして日産とルノーの関係に注目せざるを得ない。それはグローバル企業と国家権力、その「国家の主」であるべき国民の主権が及ぶ範囲を意識せざるを得ない。グローバル企業の実権を握る経営者を、国家が管理できない事実が示されたからだ。

 今回のように日本の司法制度で裁くことが出来ないとなると、グローバル企業の経営者は「特権階級」となってしまう。いや、所得で特権階級となっていると見ることが出来る。格差の象徴であるグローバル企業は「国民の主権を脅かす」存在であることを認識するべきであろう。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

関連キーワード

関連記事