スバルの水平対向エンジンは飛行機からではなかった ベンチマークはポルシェ356

2018年11月24日 09:55

印刷

ポルシェ356 (c) 123rf

ポルシェ356 (c) 123rf[写真拡大]

 スバルが水平対向(ボクサー)エンジンを作ったのは、戦前の中島飛行機のエンジンからの流れだと考える向きもあるが、それはスバルが自社の技術水準の高さを印象付けるために、航空機との関連を誇って広告宣伝をしているだけなのだ。

【こちらも】【スバル「LOVEキャンペーン」】アメリカで劇的躍進をもたらし、品質瓦解をもたらしもの(1)

 スバルを語る時、富士重工の前身「中島飛行機」が語られる。確かに戦前の陸軍一式戦闘機「隼(はやぶさ)」、陸軍四式戦闘機「疾風(はやて)」など、名だたる機体がある。三菱・ゼロ戦は1万機ほど作られているが、実は中島飛行機は三菱重工の2倍ほどゼロ戦を生産したと言われる。三菱重工製「1」に対して、中島飛行機製が「2」の割合なのだそうだ。終戦間際には、アメリカ本土爆撃を目標にした「富嶽(ふがく)」など6発(誉エンジン、タンダムツインに搭載なので実質12発)の重爆撃機を設計、生産工場まで用意していた。

 三菱・ゼロ戦のエンジンは1千馬力級「栄(さかえ)」で、中島飛行機・隼も同じく「栄」、隼の後継機中島・疾風は2千馬力級の「誉(ほまれ)」、ゼロ戦の後継機である三菱・「烈風(れっぷう)」も同じく「誉」を予定するなど、中島飛行機製エンジンは、日本の一時代を代表するエンジンとなっていた。中島飛行機の後を受けて設立されたのが富士重工であったので、エンジンもその流れを受けていると解釈する向きも多いが、それはむしろ、後の「スカイラインGT-R」を生んだ「プリンス自動車」であったのかもしれない。

 三菱・烈風については、アメリカ軍にその情報が漏れていたとも思えるアメリカ軍の執拗な爆撃などで、開発が遅れ「幻の戦闘機」となってしまったのだが、中島飛行機・疾風は「誉」エンジンを積んで、戦争末期にわずかながら活躍している。戦争末期はメンテナンスにも困る状態であった。ガソリンも92オクタンの良質なものは不足していたため、87オクタン程度で飛行して、戦闘状態となると92オクタンに切り替えるなど、とても本領を発揮できなかった。

 「誉」エンジンは、空冷二重星形エンジンで1800馬力程度と公表されていた。中島・疾風は最大速度624km/hと日本陸軍の公式な公表値だった。しかし、アメリカ軍に捕獲されテストされたとき、疾風は最大速度680km/h以上を記録、また、空戦性能など総合能力では、当時のアメリカ軍の主力戦闘機ノースアメリカン・P51ムスタングより高いと判断された。そのため、疾風とは1対1の戦闘を避けるようにアメリカ軍では指令を出していた記録がある。それと同様に、小型高性能の「誉」エンジンは恐れられたのだが、小型で高精度だったため整備性が低く、飛び上がれない機体が多く出て、戦争末期の惨状を象徴することにもなっていた。

 戦後、富士重工で開発された軽飛行機FA-200に搭載されていたエンジンも、水平対向エンジンなので、スバルもその流れと解釈する向きもあるが、そのエンジンはライカミング IO-360-BlBで、アメリカの会社であった。FA-200が開発された当時、軽飛行機のエンジンは水平対向が多く、富士重工もそのエンジンを採用しただけだった。

 むしろ、富士重工は普通自動車に参入する時、参考にしたのはポルシェ356であったと言われている。ポルシェを何度も分解、研究したとされている。残念ながら、中島飛行機を一代で立ち上げた中島知久平の努力は、スバルが水平対向エンジン形式を採用するのには影響していなかった。ポルシェ356のエンジンは、元々は飛行機用に設計されていたようなので、その意味では間接的ながら、飛行機に影響されていると言えるのかもしれない。

 昔は、フェラーリなども重心の低さなどに魅力を感じたのか、ボクサー(水平対向)エンジンを開発していたが、現在では、世界で水平対向エンジンを手掛けるのは四輪車ではポルシェとスバルのみとなってしまった。現在、トヨタのハイブリットシステムをスバルのエンジンに適合するように開発が進められているようで、新しいHV時代のボクサーエンジンに期待しよう。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

関連キーワード

関連記事