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品質不良企業は、「3つのグループ」に分けるべき(4) 不良なのに「不良品はない」?
■「不適切データを正常なデータとして取り扱ってしまった」のに、「不良品はない」?
排気ガス検査も燃費検査も、「型式認証」の取得された車種について、同じ性能を持っていることの検証として「新車検査」で行われていることだ。この制度をよく理解していなければならない。
【前回は】品質不良企業は、「3つのグループ」に分けるべき(3)管理のばらつきが残っているグループ
「不適切データを正常なデータとして取り扱ってしまった」のに、「不良品はない」としていることの不思議がある。「不良品(エラーとされている)」と検査基準では判定されているのに「不良品ではない」となることは、検査ではありえないことだ。今回の「トレースエラー」の基準では不良品であるとなるのだが、「正常なデータとの差異はなかった」とマツダは今回データで示している。なんとも分かりにくい話だが、「本来の“製造工程における不良”の概念」と、「“社会制度、国の制度に合わない不良”の概念」を区別して理解する必要がある。
これが、「新車検査を形骸化」してきた原因だ。「検査で規格外」とされても、実際は「売り物になる」矛盾だ。国土交通省は、自動車メーカーに検査を委託しておきながら、「放置してきた」責任を感じるべきだ。今回の事例を受け「検査基準」を見直して、売り物にならない不良と検査基準による不良を一致させなくとも、統計上優位な関係にしなければ、コストがかかるだけで負担は国民に被る。「お役所仕事」の最たる現状であり怠慢だ。
国として「国民の安全を担保する」考えは当然だが、その方法を形骸化させてしまったのは、国土交通省が「カイゼン」を怠ってきたからだ。日産・スバル・スズキのような怠慢を招いたのは、国土交通省が「現場に立たない」からで、怠慢な姿勢に終始しているからだ。管理者として資格はない。「カイゼン」するシステムを持っていないので、これからも自動車の安全を担保する努力は、自動車会社自身にゆだねられている状態だ。
自動車の管理に関わる国の制度に限らず、現実の「国民生活とは遊離した国の制度」を監督官庁が放置する姿は、あちこちで見かける。国に勢いが感じられなくなった今、国の制度の見直しが、「カイゼン」の最終目的となるのかもしれない。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
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