【日産はカルロス・ゴーン会長を擁護】経営者は投資家ではない 知らなかったは通らない

2017年11月21日 21:49

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 日産自動車は新車検査を無資格者に行わせていた件について、調査結果の報告書を11月17日に提出して公表した。それによると、38年前から常態化していた工場もあり、カルロス・ゴーン会長の経営責任を回避する姿勢を見せている。

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 確かにそれは1979年ごろから栃木工場などから始まっていたようで、カルロス・ゴーン会長の厳しいノルマ設定の経営方針とは直接の関係はない様だ。しかしながら、これまで日産自動車再建の先頭に立っていたカルロス・ゴーン会長が、新車検査を無資格者にやらせている実態に気付いていないとすれば、それは経営責任を免れるものではない。

 もし経営者になって法令違反が常態化していることに「気付かない」、あるいは再建策の中で「報告がない」などが事実であれば、管理怠慢である。カルロス・ゴーン会長は何を見ながら、経営再建に取り組んできたのだ?と見るのなら、「品質保証」などには関心がなく、決算内容に直接関与する部分など業績の経理的数字しか見てこなかったことの証明になる。

 それは、日産自動車の「ビジネスモデル」に関心がなかったことになる。困ったことで「経営者が自社のビジネスモデル」に関心がなく、執行役員などに任せたままである、昨今のアメリカ的経営スタイルによる「弊害」と見るべきだろう。

 絶対的経営責任者であるカルロス・ゴーン会長が、投資家のような立場で経営にあたってきたことの表れである。「お客様商売」で、高度な技術を必要とする「自動車」を造り売る商売でありながら、製品の安全性などについて関心を持たない経営者では、話になるまい。これは、アメリカ流投資ファンドの経営感覚である。

 経営者は投資家ではなく、ビジネスモデルを運営する経営者である。自動車は何よりも安全でなければならない。国の検査制度は「形骸化」していることもあるが、日本政府は「安全性を担保するために」新車検査制度を取ってきた。制度を変えるべきかの議論はあるが、現在の日本国の法律では、安全を担保する要の制度だ。

 投資感覚の株主たちが、短期の利益を求めて、形骸化している新車検査制度など軽視しているのかもしれないが、経営者は「安全」を最優先にすべきで、これは従業員、顧客など全ての人々に対して最優先である。どれほど大きな利益を掲げようとも、これは経営者として「万死」に値する。

 この人間性を最優先できない経営者、株主を世界の社会から一掃すべきなのだ。それが「地球温暖化」防止に向けても重要なポイントで、EVなどのCO2排出を削減する技術開発についても、本当に発電を含めてCO2排出削減に結び付くのかも、社会が的確に判断しなければならない。利益優先の思惑での国策などで、現実の技術的解釈を曲げてはならない。何しろ地球温暖化対策としては「手遅れ」となることが、目の前に迫っていると言えるからだ。深層海流は、まだ正常に動いているのだろうか?ヨーロッパ各国の冬が、厳しくなってきていたら、もう手遅れだ。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

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