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国産初カーゴシステム、川崎重工・C-1ジェット輸送機 (1) 日航製・YS-11との関係はない!
航空自衛隊の川崎重工・C-1輸送機が退役していく。日本の戦後復興を象徴する機体であったことは、あまり知られていない。戦後初、戦後唯一の国産民間旅客機YS-11は知られているが、生産機数は181機。それに比べ、C-1の僅か31機の生産では産業維持のためとしか言えない状態だ。日本の軍事規模では技術保全もままならず、輸入に切り替えてしまうほうが安いのは目に見えている。
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欧州各国のように、日本も武器輸出を可能としたい背景には、産業の技術保全が絡んでいる。「軍事技術などいらない」と考える意見もあろうが、軍事技術は民間技術の最先端を行っていることを思い出してもらいたい。現在の「デジタル社会は軍事技術の塊」であるのだ。
まず訂正したいのは、ウィキペディア【C-1 (輸送機)】に書かれた概要❝・・・YS-11の性能不足を受け・・・❞と書かれていることだ。だが、「C-1」輸送機とYS-11旅客機との関連は全くなく、C-1開発の技術的問題とYS-11開発技術の直接関連性は全く考えられない。旅客機と輸送機は一般に同じ機体で作り分けることがあり、最近のジェット旅客機、例えばボーイングB777カーゴなどの機体もある。
古くは、C-47輸送機はDC-3旅客機の軍用輸送機で、戦後日本に供与されて、この当時のC-46などの後継機として川崎重工・C-1が開発された経緯がある。こうしたことからYS-11とC-1を一般論として結び付けてしまったのであろうが、YS-11は輸送機型の開発計画はなかった。
また、C-1をYS-11の後継機にしようとした計画がどこかで考えられていたことは、当時の技術レベルでは当然にあり得ることであったが、「カーゴシステム」の進歩の経緯からすれば、技術的に非現実である。
この問題を区別し理解するには、「カーゴシステム」の開発背景を理解しておく必要がある。そうすれば、現在の旅客機のカーゴシステムと軍用カーゴシステムの違いも理解できるはずだ。
YS-11について申し添えれば、YS-11を開発したのは「日本航空機製造」だ。これは民間旅客機開発製造のために造られた「国策企業」で、株主は日本政府が半分で、三菱重工や川崎重工など大手5社などが残り半分を出資している。そのため民間機の開発に限ることが条件となっており、軍用機は基本的に取り扱えなかった。また製造は行わず、設計に限ることが決められていた。
これは当時、日本の覇権主義の犠牲となった近隣各国が、日本の再軍備を抑え込もうとする姿勢と、日本を占領管理しているアメリカが、日本の軍事やハイテク産業を抑え込み輸出先とする思惑が一致していたことが背景になっている。それはその後、YS-11の後継機Y-X開発予算が、ボーイング社のB757、B767開発予算に組み入れられていったことで証明される。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
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