パジェロ去り行きルノー・日産・三菱、経営統合へ進むマクロンの狙いはフランス雇用増

2019年4月26日 12:50

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国内で販売を終了する「パジェロ」の特別仕様車「FINAL EDITION」。(画像: 三菱自動車工業の発表資料より)

国内で販売を終了する「パジェロ」の特別仕様車「FINAL EDITION」。(画像: 三菱自動車工業の発表資料より)[写真拡大]

 三菱・パジェロが国内販売中止、開発終了とのこと。パジェロは現在のSUVジャンル「はしりの車」で、寂しい限りだ。パジェロとの出会いは、当時、三菱の東京にあるショウルームに出かけた時、三菱自動車に勤務していた友人の案内で見かけたのが始まりだった。4輪駆動オフロードカーを乗用車のように使える車としており、当時は画期的新ジャンルの創造に感じた。

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 実際のところ、このジャンルは既にクライスラーのジープが知れ渡っている頃で、スバル・アウトバックの前身もオフロードカーを意識して副変速機を持っていた時代だ。「意外さ」にあふれ、新鮮さが感じられる車だった。この車の印象がとても良かったせいか、1997年にトヨタ・ハリアーが出現した時、4輪駆動だけでなくFFもあると聞いてびっくり仰天。SUVジャンルの狙いがオフロードばかりではないことを知らされた。

 当時の「キャタピラー三菱」から「三菱自動車」に配置換えされて喜んでいた友人が、ショウルームでパジェロを背景にして「この車い~だろう。おれ、これを買うんだ」と、売り込む立場であることを忘れて夢中になっている姿があった。その彼は自動車については素人で、車マニアを自認する私には魅力的車には見えなかった。しかしその後のこのジャンルの拡大で、「車はSUVの時代」と言えるほどになってみせている。私を出し抜いて発展してきたパジェロが現代のSUVブームに乗り遅れ、ブランドイメージを保つことが出来なかったのは残念で仕方ない。

 三菱自動車は数々のスキャンダルを起こして、拡大できていない。「ハブドラムの強度不足による人身事故」の時には、雑誌に記事の執筆を頼まれたが、取材していると三菱自動車の「大胆と言うべきか無神経」な手口にあきれるばかりだった。

 たまたま、破損して事故を起こす原因となった部品を製作していた工場は、私が若い時に指導を受け、自社の生産ラインを作り上げてきた教師工場だったのだ。そのため直接の加害者ではなかったが、同じ製造・生産技術を使っていたものとして、死亡してしまった人々に私自身が「合わせる顔がない」との感情が生まれていた。決して私の工場は手抜きなどしていなかったし、造っていた部品も他メーカーのものだったのだが、加工上の「R」の設定が甘かったことを痛感し訂正したほどだった。

 三菱自動車のその後は、現在興味がある「ルノー・日産・三菱アライアンス」のことでご存知だろう。三菱自動車は事実上倒産し、出直しの最中なのだ。その中で、一時代を築いた三菱・パジェロが消えゆくことは、フランスの日産吸収圧力が再度表面化してきた今、なおのこと「新しい時代の始まり」であると捉えたいところだ。最近の三菱の新車攻勢が、期待感も含めて頼もしく感じられる。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

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