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「GT-R50 by イタルデザイン」銀座に展示 1972年「スカイライン2000 GT-R レーシングコンセプト」も
すっかり日産のシンボルとなった「GT-R」だが、その在り方で「スカイラインと切り離してよかったのだろうか?」と疑問でならない。今回は、「GT-R50 by イタルデザイン」が銀座に展示されるのと同時に、1972年「スカイライン2000 GT-R レーシングコンセプト」も展示されるそうだ。これは、「GT-R50 by イタルデザイン」のカラーが1972年のレーシングコンセプトからヒントを得たものだからそうだ。
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「GT-R」の系譜は、言わずと知れた「スカイラインGT」と「日産R380」との結びつきであった。当時ツーリングカーレースで台頭していた「プリンス・スカイラインGT-B」に、トヨタ7やポルシェなどとスポーツカー部門で覇権を争っていた、「日産R380」のエンジンS20を載せたことに始まる、ツーリングカーレースでの争いのストーリーがある。
■ケンとメリーのスカイラインGT-R(1972年「スカイライン2000 GT-R レーシングコンセプト」)は不戦の雄姿
スカイラインGT-Rは、その後国内ツーリングカーレースで50連勝を飾り、名車として不動の立場を確保したのだった。その直後、スカイラインはモデルチェンジを行い、それまでの愛称「愛のスカイライン」から「ケンとメリーのスカイライン」として、ハイオーナーカーとしての地位を確保していった。
しかし、このモデルチェンジにより、スカイラインは大きく、重くなってしまい、台頭してきたマツダ・ロータリー勢に太刀打ちできる状態ではなかった。このほど銀座で「GT-R50 by イタルデザイン」とともに展示される1972年「スカイライン2000 GT-R レーシングコンセプト」は、レースへの実践投入は絶望視される中で発表された「スカイラインGT-R」のシンボリックな存在だった。たしか、この車が発表され目に入ってきたとき、レーシングカー「GT-R」の終焉の印象が強く残っている。
スカイラインGTの特徴として、「丸形のテールランプ」が継続強調されている。「GT-R50 by イタルデザイン」もこの伝統を受け継いでいる。たしか、私の親父が所有していた「スカイライン2000GT」の元となった、当時の「プリンス・スカイライン1500」も、当初はこの丸形テールランプであったように記憶している。
■スカイラインGT-Rのもう一つのデザイン上の特徴「サーフライン」は消滅
しかし、もう一つ、初代「スカイラインGT-R」のデザイン上の特徴があった。1972年「スカイライン2000 GT-R レーシングコンセプト」にも残っているのだが、リアオーバーフェンダーのため形は隠されてしまい、ゴールドのペイントでその痕跡を表している。つまり、「愛のスカイライン」で造形された、ドアからリアフェンダーにかけてのラインの造形を『サーフライン』と呼んでいたのだ。それは、「ケンとメリーのスカイライン」までで姿を消し、以後復活はされていない特徴だ。リアフェンダー、ホイルハウス上のプレスラインは、運転していて擦りやすかったようで、当時、良く傷をつけていたスカイラインを見かけたものだった。
「GT-R50 by イタルデザイン」のダークカラー×ゴールドのカラーリングは、1972年東京モーターショー出展の、通称「ケンとメリー」のGT-Rをベースとする「スカイライン2000 GT-R レーシングコンセプト」へのオマージュだという。1億円余りの値段が提示されているこの車は、注文する際には、外装、内装共にある程度の選択が用意されるようで、オーナーの趣味に合わせるそうだ。
11月25日まで東京・銀座のNISSAN CROSSING(ニッサンクロッシング)で、「GT-R 50 by イタルデザイン」とともに、1972年「スカイライン2000 GT-R レーシングコンセプト」も展示されている。今となってはその関わり合いを、日産自身が勘違いしている節もあるが、同時に見られる機会はまたとはないであろう。スカイラインの生みの親である桜井真一郎氏が見たとしたら、どの様な感想を持つのか聞いてみたい気がする。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
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