炎のストッパー、津田恒実の命日にその活躍を偲ぶ

2017年7月20日 19:49

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 20日、かつてプロ野球・広島東洋カープで炎のストッパーと言われた津田恒実氏の命日を迎えた。1993年7月20日、津田は脳腫瘍との闘病も虚しく32歳で亡くなり、あれから24年の歳月が流れた。リリーフに登場しての投げっぷりはカープファンそしてプロ野球ファンならずとも知れ渡るものであった。

 津田は山口県出身で高校1年生から南陽工高のエースとなり、3年時には春夏連続で甲子園に出場。剛速球を淡々と投げ込む姿に「ツネゴン」との愛称も付けられていた。その後、社会人野球の協和発酵で活躍、1981年のドラフト1位で広島カープに入団した。

 入団1年目から先発ローテーションに入り、その年11勝を挙げ新人王になった。その勢いで2年目も前半だけで9勝を挙げ、大投手の誕生かとささやかれていた。だが、シーズン後半は肩や指を傷め登板機会を失った。

 故障の影響から5年目の1986年からストッパーとしての活躍を期待される。このシーズンは22セーブ、防御率2.08とチームの優勝に大きく貢献しカムバック賞を受賞している。投球の9割近くがストレートを剛速球で投げ込むと言うのも伝説となっている。その後、炎のストッパーとして活躍していたが、1991年の開幕から2試合目の登板が最後の雄姿となった。

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