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横浜DeNAベイスターズが強くなってきた理由
ベイスターズの本拠地、横浜スタジアム (c)123rf[写真拡大]
■横浜ベイスターズの成績
横浜ベイスターズと言えば1998年、権藤博監督がチームを日本一に導いたのを最後に、低迷期を迎えたイメージを持っている人が多いのではないだろうか。当時は守備では佐々木を中心とした投手陣が奮闘し、攻撃ではとにかく連打が多かった「マシンガン打線」が存在していた。投打がかみ合い79勝56敗で優勝を果たした。
そこからはほぼBクラスに低迷するチームとなってしまった。とくに2008年からは5年連続最下位、勝率も3割台と「6位と言ったらベイスターズ」という状態が当たり前となった。本塁打王・村田、首位打者・内川を育て上げたが、突出した個が現れてもチーム全体の打率は低く、点が取れないチームだった。
それ以上に投手陣に問題があった。防御率が非常に悪く、守備時間が長いという特徴があった。FAで取得した投手、外国人投手、新人投手、全てにおいてうまくいかず競った試合も取りこぼし、負け癖がついていた。
■中畑監督就任
そこで監督になったのが中畑清だった。中畑監督が就任することによってチームの意識と投手力が増した。すぐに勝てるチームになったという訳ではないが、負けるにしてもある程度まともな試合ができるようになった。序盤に負けが重なったり、終盤に失速したりということがあったがところどころ強い時期が出て来て、期待させるものがあった。
しかしなかなか勝ち切ることはできず、中畑監督時代の4年間の成績は6位、5位、6位、5位と振るわなかった。成績だけ見ればものすごく悪いが、最後の2年間は首位と14.5ゲーム差で終わり、防御率も3点台となった。「もう一年いれば」という所で監督交代となった。
■ラミレス監督
中畑監督の後を引き受けたのがラミレス監督だった。当初「監督もしたことのないラミレスで大丈夫か?」という不安視は多かった。私も実際そう思った。しかし、ラミレス監督の考え方はチームに浸透していた。競った試合をものにすることができ、チームを2005年以来のAクラスへと導き、初のクライマックスシリーズに進出させた。今季もここまで(6月18日現在)3位につけている。
その背景にあった要因は3つあるのではないかと思う。1つは中畑監督のまいた種がうまく花開いたことだ。低迷期にいきなりラミレス監督になっていても、きっとチームは変わらなかった。しかし中畑監督がチームの土壌を作り直し、まいた種をうまく咲かせることができた。
2つ目は外国人の起用だ。自身も外国人であることから扱いがうまいのだろう。うまく能力を引き出し、チームに貢献する選手が目につく。3つ目は正捕手の誕生だ。先日2試合連続満塁ホームランを放つなど、投打で信頼を置ける存在となる戸柱恭孝を見出したことも大きい。
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