本来は純粋な愛の物語!『アナ雪』を「ありのまま」で終わらせるのはもったいない

2017年3月9日 12:18

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■「ありのまま」だけではないアナ雪の魅力


 2014年に日本で公開された『アナと雪の女王』だが、当時はアナ雪旋風に日本が包まれた。その勢いは止まるところを知らず、劇中で使われた「ありのままで」を聞かない日がないほどだった。そんな『アナと雪の女王』が2017年3月4日に地上波初放送となったが、この機会に私が感じた作品の魅力について紹介。

■『アナと雪の女王』の大まかなあらすじ


 アナとエルサはアレンデール王国の王女様。仲のいい姉妹だが、エルサは小さい頃から氷の魔法を使うことができた。2人は仲良く遊ぶ普通の姉妹だったが、ある日エルサは自分の魔法によってアナにケガをさせてしまう。アナは何とかトロールの力を借りて、エルサの魔法に関する記憶を失うことと引き換えに一命を取り止める。その日からエルサは魔法を使うことを止めると共に、自分を抑えるためアナとも会わず部屋に閉じこもってしまうのだ。
 アナとエルサは会話しないまま13年間の月日を過ごし、エルサの戴冠式を迎えることになる。やっと外の世界を知ることができることで開放的になるアナに対し、自分の能力がばれないかと神経質になるエルサ。考え方が合わない2人はついに衝突し、エルサは自分を抑えることを止めて1人雪山の城で暮らすことを決意する。

■有名な「ありのままで」だとあまり意味が通らない……


 『アナと雪の女王』と言えば、松たか子の「ありのままで」が一番に思いつく人もいるはず。だが、エルサが城から離れるのは孤独になるためだ。日本だとそのシーンで「ありのままで」が流れるが、これだと後ろ向きな理由で城やアナと距離を取るエルサの心境とリンクしない。
 本来、「let it go」は「成り行き任せ」や「もうどうでもいい」と訳されることが多いようだ。また、「ありのままで」を歌っている場面も、どちらかというとエルサが国やアナと距離を取りたいから雪山に向かうシーンのように見える。字幕版でも、実際には「これでかまわない」と訳されていた。
 さらに、英語版では、アナがエルサを説得に向かうシーンでは、エルサは説得されても「できない」や「帰れない」とネガティブな台詞を述べているようだ。そのため、エルサは前向きに城を出たのではなく、ほぼ自暴自棄に城を出たという解釈のほうが自然になってくる。

■アナ雪を観た感想としては「愛情に気づく」物語


 私も『アナと雪の女王』を観たが、アナやエルサが「愛情に気づく」までの物語に映った。これは映画にどのようなものを求めるかで、個々の感想はもちろん変わってくるだろう。だが、トラブルを経てアナとエルサが分かり合い、劇中に出てくる「扉を開けて」という歌などの意味を含めて考えれば、2人が愛情を知って理解し合うための物語だと思った。
 劇中のエルサは親の教えや能力によって人を拒絶するようになり、人の愛情を知らずに育った。また、アナも外の人間と関わる機会を断たれたという意味では孤独だった。そんな2人が戴冠式をきっかけに外の人間と関わるようになり、人間は孤独に生きていけないことを知っていく。また、劇中に出てくるハンスやクリストフも孤独な人生を送っているなど、やはり全体として「人との関わり」や「愛情を知る」というのがテーマに思えてしまう。
 「ありのままで」だけのイメージを持っている方もいるかもしれないが、『アナと雪の女王』は姉妹愛や他者への愛情に気づくまでの姿を描いた映画である。先入観で「おもしろくない」と考えている人も、こうした別の視点を持って観賞してみるのはいかがだろうか。(記事:藤田竜一・記事一覧を見る

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