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軽井沢がリゾートとしてより活性化する為に必要なこと
先月の終わりには、天皇・皇后両陛下は、出会いの場となった「軽井沢会テニスコート」で3年ぶりにテニスをされた。また、また1日には自民党の最大派閥の町村派軽井沢で5年ぶりに研修会を開いたりしている。
軽井沢は単なるリゾートではなく、このようなことからもわかるように歴史的にみてもその重要性からみても、他のリゾートとは一線を画しているエリアである。それは古くから多くの作家にも愛されてきた町であることからもわかるだろう。
長野県の軽井沢町は1923年の町制施行時の人口5,012人から90周年の節目の年に、人口が2万人(住民基本台帳人口・外国人住民を含む)を超えたと発表した。
町の人口の歩みは、西長倉村と合併した42年には8,746人だったが、昭和44年には、第二次世界大戦による疎開者の増加により1万人を超え11,835人となった。終戦の年、45年には、疎開者に加え復員軍人や海外引揚者が相次ぎ15,374人となったが、翌年には12,542人に減少した。
その後、昭和40年代(65年から74年)までは13,000人台を推移し、日本の高度経済成長を背景に昭和50年代(75年から84年)終わりには15,000人台に増加した。
また、97年の長野新幹線の開通により軽井沢─東京間が約1時間の通勤圏となったことから人口は年々増加して2008年7月には19,001人になった。
そして 12年7月の住民基本台帳法改正により外国人住民( 251人)も住民基本台帳に加わり、8月5日に20,008人、世帯数は9162となった。
しかしながら、軽井沢が抱える問題も多い。それは繁忙期の慢性化の渋滞だ。
軽井沢は、また日本屈指の別荘地でもある。だから、住民登録を行わず、「夏の家」として別荘を利用している人々も多い。一説によると、20,000世帯と云われている。これは定住者の実に2倍の数である。
彼らの移動のメインは自動車と思われるので、夏の期間は交通量がただでさえ、観光客で増えるので慢性的な渋滞を引き起こすことになってしまう。これでは、住人、別荘族、観光客、すべてがストレスを抱えてしまうことになる。
15年4月には、軽井沢町南地区に総面積約2,000平米メートルの公設「農産物直売所」の開設も予定されている。それ自体は喜ばしいことである。しかし、それを目指して、また自動車での観光客が増えれば、渋滞にまた拍車がかかってしまうことだろう。
同町は、この人口、2万人突破にあたり、「一世紀有余にわたり恵まれた自然環境を守りつつ、豊かな文化と歴史を育み国際親善文化観光都市として発展してまいりましたが、今後も町民のみなさまと共に、『 自然と文化が奏でる軽井沢』のまちづくりを推進してまいります」としている。
交通渋滞は多くの排気ガスを排出することになり、それは環境破壊に繋がる。「自然環境を守る」ならば、まずはこの問題に係る施策を町は打ち出すべきだ。例えば、ヨーロッパの街や、国内でも富山市で運行されている洗練されたデザインのトラム(路面電車)や乗り合い馬車の導入などであれば、話題性も加味され、CO2も削減されるだろう。同町にとって超えるべき問題はたくさんあるのだろうが、諦めずに前に進む努力を惜しまなければ、道は自ずから開けていく。軽井沢を愛する筆者としては、それを切に願うばかりだ。(編集担当:久保田雄城)
※この記事はエコノミックニュースから提供を受けて配信しています。
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