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習近平政権は世論をどう変えようとしているのか【実業之日本フォーラム】
*09:51JST 習近平政権は世論をどう変えようとしているのか【実業之日本フォーラム】
中国における社会コントロールが急速に強化されている。経済分野において習近平政権は8月17日に「共同富裕」の概念を示し、富の分配を経済活動による分配(第1次)、徴税などを介した政府による分配(第2次)、寄付などによる自発的な分配(第3次)の3つに区分し、富の再配分を強化して社会全体が豊かになることを目指すとした。テンセントやアリババなど大企業は、いち早く寄付事業に基づく利益還元を表明している。教育分野においては、4月から公的歴史教育の区分を党史、新中国史、改革開放史、社会主義発展史に再構成し、共産党の歴史(党史)を重視するカリキュラムに変更した。また全国の小学生から大学院生までの課程で「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想」の必修化も進む。同時に、学校の宿題に対する制限や学習塾の非営利化など家庭の負担を軽減する規制を設定し、子供のオンラインゲームの使用時間に制限を課すなど、共産党が市民生活に寄り添う姿を演出している。
7月頃から続いた複数の俳優や芸能人に対する取り締まりもまた、市民の目に見える形で富裕層への統制を強める方策であった。8月には女優・趙薇(ヴィッキー・チャオ)の名前が動画配信サービスなどから全て削除されて海外メディアも大きく報じた。台湾メディアは、趙薇はアリババグループ創業者である馬雲(ジャック・マー)との関係が深く、8月にはアリババ本社のある浙江省杭州市党常務委員会トップの周江勇も失脚していることから、「政経癒着」の余波を示唆した。様々な事例があるものの、世論に対する影響力が大きく、かつ共産党から見て必ずしも品行方正ではなかった著名人が粛清の対象となっているようである。
芸能界への引き締めの一翼を担うのが、党中央インターネットセキュリティと情報化委員会弁公室(以下、網信弁)と呼ばれる、インターネットの監視、検閲を担う機関である。網信弁は6月15日に「晴朗、『ファン・コミュニティ(飯圏:アイドルなどの『推し活』やファン交流のコミュニティ」)』の混沌是正」アクションプログラムを2カ月にわたり全国的に実施すると通知し、芸能人の人気ランキングや消費への誘導、未成年の参加などを含むファン行動への規制を開始していた。続いて8月27日には10項目からなる「『ファン・コミュニティ』混沌のガバナンス強化に関する通知」を発出、規制の強化と細目化を促した。また9月2日には国家ラジオテレビ総局弁公庁も「文芸プログラムとその人員の管理の強化に関する通知」を発出し、「低俗で下品な」娯楽作品を排除して「党と国家への愛、高潔で芸術的な業界の倫理観」を旗幟鮮明に示すよう求めた。党や国家から「心が離れている」人物は起用せず、党の求める「主旋律と正のエネルギー」でメディアを満たすよう指示、番組の構成内容もまた管理、規制の対象となった。
こうした経済界や芸能界に対する一連の取り締まりに、国内外の少なからぬチャイナ・ウォッチャーが「プロレタリア文化大革命」の再来を懸念している。いわゆる文化大革命とは、毛沢東が発動し1960年代半ばから70年代半ばにかけて続いた暴力を伴う世論粛清の政治キャンペーンである。「造反有理」「革命無罪」等のスローガンのもとに理不尽な個人攻撃が容認され、中国社会に多大な混乱と相互不信をもたらした。その発端となったのが京劇「海瑞罷官」(清廉な官僚であった海瑞が皇帝の怒りを買って罷免された故実に基づく歴史劇)への批判であったことはよく知られている。今回の文芸に対する引き締めの手法は、確かに文化大革命を彷彿とさせる。また8月29日には、人民網、光明網、中央電視網などの公式メディアが一斉に「誰もが感じる、深刻な変革が起きている!」と題する論考を掲載し耳目を集めた。この論考はもともとブロガーである李光満が自身の「微信(ウィーチャット)」に掲載して、「中国には経済、金融、文化から政治にいたる全ての分野で深刻な変化、あるいは深刻な革命ともいうべき重大な変化が生じている」と指摘し、これらは共産党の初心への回帰、人民中心への回帰、社会主義の本質への回帰だと主張したものである。
だが筆者は、習近平政権の狙いは単なる文化大革命の再演ではないと考えている。なぜならば当局の発信からは、文化大革命のように国内の社会的対立をあおることで権力の掌握を図るのではなく、むしろ中国社会の分断を予防しようとする意図が読み取れるからである。李光満論考を人民日報など主要メディアが掲載したことからすれば、社会の構造的変化を推し進めようというメッセージは基本的に当局の思惑に合致しているのだろう。だが公式メディアへの転載にあたり、芸能界およびアントグループやディディ(Didi:滴滴出行)などの「大買弁資本グループ」は「社会の癌だ」として排除を呼びかける段落は削除された。おそらくこの点は、当局の意図よりも強く打ち出しすぎたのである。さらに、人民日報系の『環球時報』編集長でタカ派の論客として知られる胡錫進は、自身の「微信」で9月2日に李論考を「国家の大政方針から逸脱し、ミスリーディングであった」と批判し、李が述べる一連の取り締まりは、「すべて、社会的ガバナンスのさらなる高度化であり、何らかの『革命』ではない」と否定した。こうした発信からは、民衆をあまり刺激せずに漸進的に社会の風向きを変えようとする当局の意図が透ける。富裕層の自主的な富の還元に基づく「共同富裕」の構想も含めて、社会の分断が決定的になったアメリカ社会へのアンチテーゼを示そうとする思惑もあるだろう。
では習近平政権は、中国世論をどの方向に誘導しようとしているのか。今のところ、その方針には2つの特徴があるように思われる。第1に、共産党の施策に対する異論を封じると同時に人々に一定の「理解」を与え、「我々は正しいことをしている」と認識するよう誘導している点である。教育システムの変革では、過剰な詰め込み教育の是正を謳う。芸能人やそのファン・コミュニティへの取り締まりは社会の風潮を乱す行動の是正を促すと同時に、青年層の健全な成育とリンクしている。寄付の実施は企業の社会的責任を果たすことに繋がる。ただし世論に対して影響力をもつ個人や組織をコントロール下におくことも、非常に重要な目的である。7月29日には、党中央統一戦線工作部(共産党以外の政党や宗教団体などとの関係を所管する組織)が「党外知識分子への統一戦線活動の新局面を開く」と題する方針を発表し、学識者や民間企業の幹部、海外留学の経験者など、共産党に所属しない知識人を統一戦線活動のターゲットとする政治キャンペーンを打ち出した。今後はメディアばかりでなく、オピニオンリーダーらからも「中国社会はより良くなった」との声が増加すると予想される。
第2の特徴としてはアメリカとの対立が継続することを念頭に、「西側」を強く意識した排外主義が強まっている点である。実際に、その影響は徐々に顕在化してきている。たとえば7月には河南省鄭州市で洪水を取材中の外国人記者が、「偏向報道」に不満をもつ地元民に取り囲まれる事件があった。また9月には遼寧省大連市で日本を模した「盛唐・小京都(唐全盛期の小京都)」が開業から1週間で営業停止となったが、その原因は「日本の文化侵略だ」とする批判の集中だったという。
中国社会の排外性の高まりは、第1の点とも関連し、中国式制度の優位性を主張する政府の公式見解と表裏一体である。この点では、昨今は「中国式民主」の主張が目に付く。例えば華春瑩外交部報道官は8月20日に、米軍撤退後のアフガン情勢の悪化を事例に「西側の民主モデル」を批判し、「中国は『人民民主』であり、米国は『金銭民主』である。中国の人民は実質的な民主を、米国民は形式的な民主を享受している。中国が実行しているのは全過程の民主だが、米国は4年に1度の投票民主である」と述べた。一読しただけでもひどく偏った見解であり、いわゆる「戦狼外交官」の誇張も含まれるが、実は中国国内ではこうした政治体制論の「理論化」も進んでいる。国務院新聞弁公室は6月25日に「中国の新型政党制度」白書を発表し、西側諸国が採用する選挙に基づく代表民主主義の制度を「旧式政党制度」と位置づけ、中国における「多党協力と政治協商制度」とは中国に8つある他の政党や政党に属さない人々(無党派人士)が共産党と協力、合議(共商)して政治運営を行う「新しい政党制度」であると高く評価した。このような中国の主観に基づいた独自の制度論が、教育システムや専門家の講釈を介して中国社会に浸透するならば、その影響は甚大である。
中国の政治制度における根本的な問題は、共産党に権力が過度に集中しており、権力に対するチェックアンドバランスが機能していないという点である。だが中国国内では、この課題を置き去りにした「より良い社会」イメージが先行しようとしている。恐らく人々の短期的な満足度は向上し、私たちは中国の友人から「中国を誤解していますよ、実態は西側で報じられるよりずっと良いです」と他意なく諭される事になるのだろう。確かに、数年後の中国社会がより安定している可能性もある。だが中国政府の情報コントロールが非常に洗練されてきたことを、常に頭の片隅に置いておく必要があるだろう。
江藤 名保子
学習院大学法学部教授。専門は現代中国政治、日中関係、東アジア国際政治。スタンフォード大学国際政治研究科修士課程および慶應義塾大学法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター副主任研究員、シンガポール国立大学東アジア研究所客員研究員、北京大学国際関係学院客員研究員などを経て現職。
写真:新華社/アフロ
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