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見えない敵・新型コロナウイルスとの”静かな戦争” (番外編1) 三菱重工にはとばっちりか
長崎市に停泊中の、伊クルーズ会社コスタ・クロティエーレのクルーズ船「コスタアトランチカ」で発生した新型コロナウイルスクラスター問題には、ようやく解決の方向が見えて来たが、三菱重工業が受けた傷は浅くない。
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同船は1月29日に外板塗装などの修繕工事のために入港したもので、もともと乗客はいない。運航するために、外国籍スタッフ622人と日本人通訳が1人、合計623人の乗員が乗っていた。20日に最初の感染者が発覚した後、毎日のように感染者の確認が続き、26日には全員の検査が終了して合計148人の感染が確認された。現在までの所、感染経路は分かっていない。
三菱造船が大型クルーズ船の修繕を受注したのは初めてで、三菱重工業長崎造船所香焼(こうやぎ)工場で当初2月末までの予定だった工事は、追加受注も含めて3月24日に終了している。その後は試運転を行いながら4月1日からは香焼工場の岸壁に接岸して、4月末までの停泊予定だった。
三菱重工業は造船受注が不振で、ダンピングの様な価格で仕掛けて来る中国と韓国の造船業界の動向を勘案しながら、巨大造船所の維持・継続に見切りをつけて、香焼工場を長崎県西海市の大島造船所に売却する方針を決めていた。
しかし、長崎市において造船業の占めるウエイトは大きい。雇用を通して長崎市と共に歩んで来た三菱重工業にとっては、香焼工場を手放すことについても十分な配慮をすべき立場であった。そこで国土交通省、長崎県、長崎市とも息を合わせながら「長崎客船MRO(Maintenance, Repair and Operation:修理・整備)拠点化プロジェクト」を推進してきた。出ていくだけではありませんということだ。
そこに現れたのが、中国での修繕工事を予定していながら、折からの新型コロナウイルス騒ぎでアテが外れたコスタアトランチカだった。一度修理実績が出来れば継続して受注する足場となり、将来的にはクルーズ船の修繕基地としての橋頭保を築けると、期待が膨らんだことは想像に難くない。目に見える形で地域にアピールが出来るという思惑もあっただろう。
ところが、「棚からぼたもち」に見えたこの話には、ぼたもちと一緒に落ちてきた棚を、顔面で受け止めたかのような痛い展開が待っていた。
新型コロナウイルスの潜伏期間は、1~14日で平均すると5.8日と報告されている。長崎市に入港したのが1月29日で、4月20日に最初の感染者が確認されたということになると、4月6日以降に何者かが船内に感染を広げたという推理が成り立つ。
入港後に日本国内で感染が拡大し始めたため、長崎県は3月6日に乗下船を自粛するように船会社側に要請し、三菱造船にもその旨を通知している。実際にはそれほど厳格に運用されて来た訳ではないようだが、28日現在の長崎市のPCR検査陽性者が1人であることを勘案すると、単なる乗下船で感染を広げたことは考えにくい。
ポイントは、3月15日から4月15日の間に帰国する乗員約90人が下船し、約40人が船に新たに乗り組んでいることだ。福岡出入国在留管理局が公表している。
コスタアトランチカの乗員のうち、外国籍で陰性が確認された乗員の一部はチャーター機で帰国させる方向で話が進んでいる。乗員の国籍がアジアを中心に30カ国以上に上るが、フィリピン人が多いらしく、チャーター機の対象になっている。それ以外は民間機に分散する。
軽症で入院の必要がない乗員は船内に止まり、経過を観察する。コロナに対応できる病床が100床ほどしかない長崎県のキャパシティでは、受け入れにも限度がある。病状を悪化させる患者が続出しないまま5月の中旬を迎えることが出来ると、長崎県の医療体制は崩壊の危機を迎えずに済みそうだ。関係者は祈るような気持ちで、コスタアトランチカの出発の日を待っていることだろう。
コスタアトランチカで感染者が確認された当初、三菱造船は「3月14日から乗員は下船していない」としていた説明を4月22日に撤回して、「一部の乗下船は続いていた」ことを認めた。中村法道知事は「私は知らされていなかった」とお怒りだ。
クルーズ船の修繕基地への種を蒔いて「感謝されながら」撤退する目算が外れて、妙なしこりを残すことになったとしたら、「スペースジェット」で弱り目続きの三菱重工業にとっては”とばっちり”のようなものだろう。(記事:矢牧滋夫・記事一覧を見る)
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