欅坂46・長濱ねるの残した教訓を考える

2019年8月1日 21:22

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 7月30日、欅坂46のメンバー長濱ねるの最終イベント『ありがとうをめいっぱい伝える日』が終わり、彼女は正式に卒業した。現場でもネットでも涙涙で惜しむ声が大きかったが、今後の活動について、彼女はこんなことを言っていた。

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 「この4年間ずっと放電してるような日々で……気づいたら心が空っぽになってしまいました。人前に立つことから距離を取りたいと思ってます。」

 ここからは、記者のかなり個人的な印象になってしまうが、記者にとって、この言葉は爆弾というより、何か重い石を背負わされたように感じ、しばらく立ち直ることができなかった。

 「放電し続けて空っぽになる」なんてことは、アイドルの、特に運営をするものにとって、あってはならないことだと感じていたし、まさか彼女がそんな発言を最後にするとは思ってもいなかったからである。

 アイドル……少なくとも秋元康がプロデュースしてきたグループは、メンバーの成長過程を見せていくものであり、メンバーは試行錯誤しながら、自分の将来に向けて経験や技術を蓄積……インプットしていくものだと、記者は思っていた。

 むろん、グループが売れていくためには、持っている魅力のアウトプットは不可欠ではあるが、それ以上にインプットが必要であることは、いうまでもなく大切で、当たり前のことだと思っていたのだ。

 実際、乃木坂では、舞台・演劇方面で才能を発揮しているメンバーも多いし、タレントとして安定感を持って外番組に呼ばれるメンバーも増えてきた。また、アナウンサーになったメンバーにとっても、乃木坂での経験がなんらかのアドバンテージになっていると思っている。

 だから「アイドルとしてやることはやった」とか、「新しい道をみつけた」という卒業の言葉は、真実に近いものだろうと考えていたのだが、まさか、「空っぽになった」という言葉が出るとは思わなかったのだ。

 しかし、こと欅坂、そして長濱ねるのこれまでの軌跡を振り返ってみると、その特殊な、そして過酷な状況も見えてきてしまう。

 ブレイクやデビューに時間がかかり、その間、試行錯誤して自分や周囲を見つめなおす機会が多かった「乃木坂」や「日向坂」に比べると、「欅坂」はデビュー曲『サイレントマジョリティー』が大ヒットし、1年目から紅白歌合戦の出場の栄誉を掴んでいる。

 当然、個々のメンバーの仕事も忙しくなり、レッスンはハードで、育成よりも結果が優先する環境になりがちである。

 さらに、早々に固定化されたセンター平手の体調やメンタルの問題、主力級だった志田や今泉の卒業、ムードメーカ原田葵の活動休止に、知性派キーパーソンだった米谷奈々未の卒業と、彼女たちがインプットにかける時間はどうしても削られ、早く結果を出さなければならないという焦りがこのグループには漂っている。

 ブレイクまでに時間がかかり、さらに選抜システムにより活動時間にバラツキがあって、その時間を育成にかけることができた乃木坂。デビューできるかどうかもわからず、代打屋としてじわじわと実績を重ねながら、必死でサバイバルをしてきた日向坂。共にその苦労や環境が絵になるが、いきなりブレイクし、大きな失敗が許されない状況の欅坂メンバーの苦悩も相当なものであることが伝わってくる。

 その中でも、長濱ねるは特に負担が大きなポジションで、一足遅れて欅坂に加入したことで、オリジナルメンバーとの関係性を構築する時間が必要になり、さらに「ひらがなけやき(現日向坂)」との兼任でパイプ役にもなり、写真集やテレビといったソロ活動も好評でオファーが殺到ということで、確かにインプットする暇もなく、次々現れる課題を乗り切ることに必死になってしまっていたことは想像に難くない。

 また、性格的にも生真面目で、優しすぎるぐらい優しく、しかも有能で頭もいいため、周囲が安心して彼女に頼ってしまう部分はあったのではないかと思う。しかしメンバーの前では、例えば仲の良かった齋藤冬優花の服に染みができるほど号泣し、不安や苦労を訴えていたという証言も出てきた。

 彼女の卒業は笑顔で見送りたい。しかし、彼女のアイドルとして過ごしてきた期間が、搾取と消耗の期間であったとは思いたくない。

 彼女が残した教訓をどうやって生かすのか?ファンも運営も改めて考える時期がきているのではないだろうか?(記事:潜水亭沈没・記事一覧を見る

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