アポロ計画の成功を陰で支えてきた男が死去 クリス・クラフトの足跡

2019年7月24日 07:08

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NASAの働きを陰で支えたクリス・クラフト。(c) NASA

NASAの働きを陰で支えたクリス・クラフト。(c) NASA[写真拡大]

クリストファー・コロンブス・クラフト・ジュニア(以後クリス・クラフトと表記)は、日本ではあまり知られていないが、米国ではその功績を称えられ、数多くの賞を受賞した宇宙開発の牽引者のうちの一人である。その功労者が2019年7月22日に亡くなった。

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 彼がNASAで活躍していた時代は1950年代の終わりごろから、1980年代にかけてのことである。その時代の状況を想像するのは、今の若い人たちにとっては非常に困難なことだが、電卓もパソコンもまだ世の中になかった時代に人間を宇宙に送り込むミッションを陰で支えてきたのだ。

 つまり彼は、NASA設立当初からエンジニアを務め、アポロ計画で人類を月に送り込むことにも成功し、宇宙空間で爆発事故を起こしたアポロ13号の乗員3人を無事地球に帰還させた際にも、裏方の責任者として重要な役割を果たした米国を代表する宇宙エンジニアなのである。

 米国が人類初の月面到達を果たした1969年においても、電卓やパソコンは普及していなかったが、そんな時代になぜ人類は月面到達を果たせたのだろうか?さらには宇宙空間での爆発事故という苦難から、人命を救い出すことができたのはなぜだろうか?

 これらは米国を世界一の技術先進国と言わしめている要因の一つであるシステム工学が勝利した結果である。システム工学と言えば、現代人はコンピューター関係の工学分野を思い浮かべてしまうが、コンピューターに頼ることができない時代の人類の偉大なる知恵である。

 クリス・クラフトの得意分野はこのシステム工学だが、日本が最も苦手とする工学分野でもある。システム工学とは分かりやすく言えば限られた条件の中で最高のアウトプットを出すための論理思考システムである。

 アポロ13号が帰還できたのも、爆発した宇宙船に残された正常に機能する限られた部品や器具、残り少ない電力を的確に組み合わせ活用することで、システム工学が不可能を可能にした結果であった。

 コンピューターでシミュレーションができなかった時代にはこのシステム工学が宇宙開発の成功のカギを握っていた。システム工学を苦手としていた日本で初めて人工衛星打ち上げに成功したのは、アポロが初めて月面到達を果たした翌年のことであった。

 今でこそ、多くの後発国が人工衛星の打ち上げに成功しているが、これはコンピューターシミュレーションが容易に行える時代になったからである。7月22日にこの世を去ったクリス・クラフトの業績は後世にずっと語り継がれてゆくことだろう。(記事:cedar3・記事一覧を見る

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