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続・「あおり運転」の原因を作るマナー違反(3) 『お・も・て・な・し』が運転の極意
~車線変更テクニック~
■車線変更テクニック
車線変更において、等速で走っている状態はむしろ入りやすいものだ。入れてくれない意地悪な車も多いが、親切な車も多いものだ。等速で狭い車間で車線変更するには、まず左車線の前方の視界が確保できていることを確認することだ。狭い車間に割り込むことは等速でなら容易い。しかし、急ブレーキなどの危険があり、前方を確認できない視野ではやるべきではないのだ。
【前回は】続・「あおり運転」の原因を作るマナー違反(2) 何故?「左にウインカー」を出さないのか
狭い車間で車線変更するときは前提として、その時の道路全体の「流れのクセ」を感じ取っていることが必要だ。不規則な渋滞が考えられる場面では、うかつに移行するべきではない。また、後続の車の動きを確認する必要があり、「バックミラーやドアミラーを見る」ことに慣れていなければならない。左車線に移行する場合、ドアミラーは最も見にくいミラーであることが、運転技量の低い人にとって障壁になっている。左側だけでも、ドアミラーではなく、昔の「ボンネットミラー」に戻すべきなのではないか?大きく首を振って見る必要がないため、前方視界がなくならないので、間違いなく左側は見やすくなる。
ドライバーは、普段からミラーを見る訓練をしておく必要がある。また、周りの運転手のクセ、その時の「気分」を感じ取る訓練をしておくことだ。例えば、夕方、奥さんが運転する軽四輪が周辺に走っていたとすると、「気ぜわしい」感覚があることを読み取れることが多い。夕方の支度が気を急かせているのだ。それは、車の動きや運転者の何気ない仕草から、読み取ることが出来る。日ごろから、ミラーで周辺の運転者の顔色を見る訓練が有効だ。
■「マイペース」は保身にならない
周囲の運転手の気持ちを思いやることは「予測運転の極意」で、次の動きが予測できるのだ。「マイペース」の運転では、「異常者を避けることが出来ない」ことを理解しておくと、多少なりとも危険を避けられるのは道理だ。「自己責任論」などではなく、「保身術」なのだ。つまり、それほど「運転は危険」なものということだ。
私の半世紀の運転歴の中で、「隣の運転手が酒を飲みながら運転している様」をミラーで見ていたこともある。周りに配慮しない人が増えたが、その人は同時に「自分の危険」が増えていることに気付いていないのだ。やくざに絡まれたときもあるが、理由は見当たらない。自分が、気が付かずに「異常者」を刺激していることもあり、周囲に配慮しながら生きていく社会の厳しさにも、気付く必要がある。また自分の知識不足から、迷惑をかけていることもあり、謙虚に学ぶ姿勢を一生涯、保ち続けることが必要なのだろう。
運転マナーについては、「運転技量」を向上させる必要性がある人が、過半であると認識しておくことだ。
■物事を「自分に都合よく解釈」しても、【物理的条件】の危険は動かせない
最後に、「万が一の概念」を理解できていない人が大多数だ。物事を「自分に都合よく解釈」して「万が一のことを忘れて」も、【物理的条件】の危険は動かせない。「マイペース」とは、運転に限れば「わがまま」ということで、迷惑至極なのだ。「暴走行為」と危険の程度は同じではなく「小さく間接的」だが、「マイペース」は「同類」の行為なのだ。
周りに「気遣い」が出来る運転を志してほしいものだ。『お・も・て・な・し』が運転の極意ともなるのだ。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
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