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横断歩道で止まらないクルマ(2) 普通の人々が「チンピラ」風情、「SNS」の会話が気になる
■「弱者を保護する」が社会通念
現代は、道路交通法も交通弱者である「人間」を保護する概念で統一されている。半世紀ほど前、日本にモータリゼーションの波が起きてきたころ、交通弱者との概念はなく、何となく車が道路で幅を利かせていた。「人が車をよける」のが当たり前の感覚だった時期がある。その後すぐ、「人間優先」との方針が示されて、運転者にも歩行者にも浸透していった。
前回は: 横断歩道で止まらないクルマ(1)日本人はホントに思いやりがある? 危ない交通安全意識
そのころに、横断歩道の前で手をあげて、クルマに横断する意思のあることを合図することも常識となった。通学の子供たちに横断歩道の前に立ち、明確に手で横断の意思があることを示し、止まったことを確認したら、運転者に挨拶しながら歩き出すように教育することが始まった。
その時、車側は、歩行者の合図がたとえ反対車線の歩道からであっても、止まらなければならないとされてきた。反対車線側まで注意が行き届かないことが多く、歩行者が渡り始めても止まらない運転者は後を絶たなかった。しばらくは、徐々に歩行者優先が浸透していったのだが、最近20年ほどであろうか、また急速に歩行者優先を守らないどころか、歩行者を追い立てるものまで出てきた。歩道から車道に半歩足を踏み入れている時でも、直前を走り抜ける運転者が飛躍的に増えた。
■普通の人々が「チンピラ」風情?「SNS」の会話が気になる
その運転者たちを見ると、「やくざ」などではなく、家庭の主婦と思われる人など普通の人々がほとんどだ。それは社会生活全般で「コミュニケーション不足」を感じ始める動きと同期している、と少なくとも筆者には感じられる。近所付き合いなどでも、会話はあるのだが「議論が出来ない」人が増えた。意見が違うと無視しあう。協議や議論をして統一した、より良い意見に集約しようとはしない。むしろ「パワーハラスメント」をどちらかがしてしまう。これは脅しに近いもので困った現象だ。
例えば、自治会などで違法を止める意見を述べると、意見に反対の家庭の主婦が体をゆすって「因縁」をつけてくるなど、「不思議な光景」を見ることが多くなった。会議をしている座席の後ろをうろつき、脅してくる者までいる。それも法規違反をしたいがためだ。「順法」の概念が欠落しているのだ。日大アメフト部やボクシング協会のことを笑えない。財務省、文科省などの官僚、政治家のトップの人々に、「順法精神」が欠落している以上、国全体が、いや世界が「武力・金」に正義を求める方向に傾くのは自然の流れであろう。「価値観」はそこにあるのだから。
この感覚では「車が強い」ので「道路は車のもの」となってしまう。無意識の「争い」が基本となる姿勢だ。この原因を考えてみると、「SNS」での会話が気になる。短い通信で数は多いが、ほとんど自分が言いたいことを「言いっぱなし」となっている。前向きな生産的議論が少なく、「他人の上げ足を取る」姿勢が目に付く。「議会制民主主義」の崩壊を招く恐れが出てきたと感じる。『ヒトラー登場前夜』と言うべきなのだろうか?
次は、強い者が支配する時代となり、社会の構造が変わってしまう危険な時代を考えてみる。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
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