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スルガ銀行は「かぼちゃの馬車」で何処へ行く!(10)「審査より営業が強くなってしまった銀行」
まるでバブル絶頂期のフラッシュバックを、聞かされているような気がした。15日に記者会見したスルガ銀行の米山明広社長は、「増収増益を継続しなくてはならないというプレッシャー」により「審査より営業が強くなってしまった」と語った。営業(支店)が審査部より優位に立って、営業部門の幹部(支店長)が融資の実行に難色を示す審査部担当者を恫喝(どうかつ)するなど、圧力をかけることも行われていたという。
【前回は】スルガ銀行は「かぼちゃの馬車」で何処へ行く!(9)書類の改ざんに関与はあったのか?
バブルの頃はそうだった。業務の花道は稼げる営業で、バックグラウンドを支える管理部門は「稼げない奴ら」とさげすまれていた。土地神話が最高潮の時期であったため、担保評価額は(どうせ上昇するから)実勢価格の120%(あるいはそれ以上)などという銀行まで出現し、上げ潮に乗れない銀行は大蔵省(当時)から事情を聴かれる時代だった。
バブルが弾けて銀行は必要以上に慎重になった。バブルの崩壊で経済活動が収縮し、銀行も経済の血液を回すよりも、自らの体力の回復を優先していたため、銀行の「貸し渋り・貸し剥がし」と、企業の調達手段の多様化が並行して進行した。銀行が本気で融資を増やそうとした時期に、多くの企業は自力で資金を回す術を身に着けてしまった。その結果、銀行が融資対象とする企業が激減し、貸すのが仕事の銀行に貸す相手がいない時代が到来した。
管理部門が力を付けすぎると、「石部金吉」ばかりの面白みのない銀行になる。営業部門が力を付けすぎると暴走する輩(やから)が出て来る。先陣を切って暴走する姿を見せつけられたその他大勢は、遅れまいと走り出す。経営者の大きな役割の一つが、攻守のバランスをコントロールすることだ。「家賃が30年間保証されているから、担保評価が甘くても最後は帳尻が合う」と強弁し、「本部の作成した基準は、現場を知らない事務屋の絵空事」と、傲慢に振舞う輩を野放しする銀行には、ガバナンスの片鱗も感じられない。
現場で、相当数の行員が書類の改ざんを感じていたように、経営の中枢でもシェアハウスの抱える問題点をスルーしたり、審査部門で発生していた恫喝行為に、見て見ぬ振りを決め込んでいたのではないと思いたいが・・・。
早期発見、早期治療が大切なのは「ガン」だけではない。スルガ銀行の病は、まだ治療が可能なステージに止まっているのか?それとも、取り得る手段が限られた、重篤な状態にあるのか?金融庁はどんな治療を検討しているのか?注目しているのは、ステークホルダーと呼ばれる“近親者”だけではないだろう。(記事:矢牧滋夫・記事一覧を見る)
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