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スカイライン櫻井眞一郎の【幻のスーパーカーMID4】日本で唯一名を残した車設計家
初代スカイライン(写真: 日産自動車の発表資料より)[写真拡大]
■スカイラインを設計した櫻井眞一郎
櫻井眞一郎は日本の自動車業界で唯一、その名を遺した設計家である。彼が設計したニッサン・スカイライン2000GTの存在感は、当時はかなり重いものであったことを示している。まだ自動車が広まっていない時代、そして高度経済成長期、ツーリングカーレースで国内50連勝を飾り、車マニアでなくても「カッコイー」との言葉の替わりに「スカGねー」と言わしめたほどの存在感であった。
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櫻井眞一郎は、その初代スカイライン設計に関わって以降、3代目~7代目まで設計主任を務め、オーテックジャパンの初代社長になり、プリンス時代から続く日産のスポーツ部門の伝統を引き継いできた功労者でもある。
当時、車マニアたちはスカイラインGTを見ると「プロの作った車だね」と、「自動車を分っているふり」をしていたものだ。確かに当時のスカイラインは、単なるファミリーカーを目指しているのではなく、「走る車」の原点を目指していたのである。
通称「ハコスカ」と言われた「スカイライン2000GT-B」を生み出し、日本のモータースポーツをけん引していった。初回、日本グランプリで、ポルシェと渡り合う2000GT-Bを見たとき、やっと先進国を追いかける日本経済を見たのを覚えている。その後、スカイラインGT-Rを生み出し、現在のニッサン・GT-Rとなって「技術の日産のシンボリックカー」となって継承されている。
■「技術の日産」を背負ったスーパーカー「MDI4」の登場
スカイラインの成功が、櫻井眞一郎の名を日本の自動車史に残すこととなり、1980年代に櫻井眞一郎によって設計され試作されたのがMID4である。1985年MID4-Ⅰが発表された。その姿は、ホンダ・NSXと似ていたが量産されることはなかった。
エンジンはVG30、230馬力、横置きミッドシップであった。サスペンションはフロント・リアともストラットだったが、これはスカイライン、ブルーバード、フェアレディなどと共用化され、一時代を築いたレイアウトだった。その後MID4-IIでは現代も続く先端のメカニズム、フロント・ダブルウィッシュボーン、リア・マルチリンクを搭載していた。エンジンは、その当時日産が先頭を切っていたターボを装着しており、330馬力は当時の日本車の最先端技術であった。
またMID4-IIの姿は、今度はNSXではなく、ロータス・エスプリの面影を見せている。日産のメンツをかけたスーパーカーであったのであろう。4WD、4WSを備えており、当時日産車が活躍したWRCに参戦を前提にしていたようだ。現代に通ずる櫻井眞一郎氏の手腕を称賛したい。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
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