【小倉正男の経済羅針盤】ウクライナが嫌悪する「ロシアのくびき」

2014年3月23日 14:53

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記事提供元:日本インタビュ新聞社

■「タタールのくびき」

  1236年の東欧、モンゴル帝国(ジョチ・ウルス=チンギス・カーンの長男の後裔)が、キエフ大公国から分裂したルーシ(ロシアの旧名)諸国を襲った。

  勝敗はバトゥが率いるモンゴル帝国の大勝、ルーシ諸国の完敗――。征服は悲惨を極め、ルーシは人口の多くを失った。

  モンゴルは征服後、ルーシ諸国を臣従させた。モンゴルの支配は、その地域に直接配置する人員が極めて少なく、ルーシ諸国に委任する間接的な形態――。宗教の自由などは許して比較的寛容だったといわれる。いわゆる「タタールのくびき」である。

  いまのロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人の各民族は、各地域に分かれたそのルーシ諸国の末裔たちである。 このなかでウクライナは、穀物、石炭、鉄鋼などを産出する大変豊かな地域であることをインプットしておきたい。

■ロシア革命とウクライナ

  1917年、ロシアで革命が勃発し、ロマノフ王朝(帝政ロシア)が崩壊。ボリシェヴィキの赤軍と反ボリシェヴィキの白軍の内戦に突入する。

  この時期、帝政ロシア崩壊で、その支配下にあったウクライナでは農民が蜂起――。マノフが率いる農民パルチザン軍などが台頭する。 マノフの農民軍は「黒軍」といわれる。黒軍、赤軍、白軍などが複雑にからんだ激しい内戦になっている。マノフの黒軍は、赤軍を圧倒して勢いのあった白軍との戦闘で勝利するなど意気を示している。

  マノフは「無政府主義者」とされている。だが、要は隣国・ロシアからのウクライナ自立・独立の民族主義者の一面を持っていたのではないか。

  ボリシェヴィキ=ソビエト政府によるウクライナへの独裁や介入を嫌い、ウクライナの自立・独立志向を目指したとみられる。ウクライナの独立志向は、ロシア、つまりモスクワのソビエト政府からすると、「危険な動き」ということになる。

  赤軍は、距離を置きながらも白軍との戦争で協力関係にあった黒軍を最終的に追い詰めて包囲殲滅した。(マノフはフランスに亡命)

  ロシアのソビエト政府としては、穀物、石炭、鉄鋼の豊かな産出国であるウクライナに自立・独立されては根底からやっていけない。帝政ロシアと同様にウクライナを隷属させ、支配する動きをとった(ウクライナ・ソビエト戦争)。身勝手、過酷すぎる話である。

■ロシアのくびき=ウクライナを目の仇にした大粛清

  レーニンの政策も「混迷」した。1921年、内戦などで疲弊著しいソビエト経済へのカンフルとして、ブハーリンが主導するNEP(新経済政策)が実行させた。余剰農産物などを販売してかまわないなど資本主義、市場経済を導入した。

  「国有化される」、というので恐れて隠していた家畜や農産物が市場に現れた。経済はにわかに活性化し、ネップマン(実業家)、クラーク(自営農家・富農)が現れた。

  スターリンの時代になると、ウクライナ人にクラーク(富農)のレッテルを張り、苛烈な大量粛清を行った。ウクライナは、「ヨーロッパの穀倉」と言われた豊穣な土地柄であり、相対的に豊かな農家も少なくなかった。豊かなだけに農業の集団化には抵抗が強かった。

  スターリンは、ウクライナを目の仇にした。

  穀物の「飢餓輸出」――、帝政ロシアの時代も行われたが、やはりスターリン時代に行われている。農業集団化の影響による飢饉発生の一方で、重工業化のための外貨稼ぎでウクライナの穀物輸出を強行している。食料不足なのに農民から食料を奪いとった。

  これではまるで「ロシアのくびき」である。 ウクライナがロシアの支配・くびきから逃れて自立・独立を目指すのは、そうした苛烈な歴史が根底にあると見てよいのではないか。

(経済ジャーナリスト&評論家・小倉正男=東洋経済新報社・金融証券部長、企業情報部長などを経て現職。『M&A資本主義』『トヨタとイトーヨーカ堂』(東洋経済新報社刊)、『日本の時短革命』(PHP研究所刊)など著書多数)(情報提供:日本インタビュ新聞社=Media-IR)

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※この記事は日本インタビュ新聞社=Media-IRより提供を受けて配信しています。

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