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オリンパス社長解任と日本企業のグローバル経営(2)(1/2)
■オリンパス
前回ウッドフォード社長の解任の一報を聞いてから数日で原稿を書いた。その際、Financial Timesに掲載されたウッドフォード前社長のインタビュー記事について多少触れた。
「今回ウッドフォード社長が、疑いを確認するという当たり前のことを行ったことが解任につながったとしたら、お粗末極まりないことになる」というのが前回原稿の最後だ。
まさにこの前提が、正しかったことが本日のオリンパス、高山修一社長の記者会見で明らかになってしまった。
本稿では、このコラムの趣旨としてこうした事件そのものの論評ではなく、日本企業のグローバル経営という視点から考察してみた。
今回は2つのテーマについて触れる。「日本企業で隠ぺい体質はなぜ生まれるのか」と「個人の責任」についてである。
■日本企業で隠ぺい体質はなぜ生まれるのか
私は本来「日本企業」や「日本的経営」という言い方は極力使わないようにしている。その理由は、オリンパス等日本企業に多くみられるとされている経営の特徴は、その背景や構造を同じくすれば文化や国を超えて普遍的に同じ形になると考えているからだ。経営は文化論ではない。組織構造や市場などの説明変数の組み合わせだ。
では、「隠ぺい体質」が生まれる理由は何か。それは、「同質性」というキーワードにあると考える。新卒採用を中心とした、強固な「同期」による組織形成。その中で、特にバブル期前後まではほぼ全員が足並みをそろえて係長・就任に昇進し、課長の席も数年以内であれば多くの同期が到達していたという組織マネジメントにその理由を見つけられる。
こうした組織では、同期を目線の中心として、中間管理職昇進前後で競争の圧力が高まる。自分の組織内での位置づけを、同期の中で相対評価し始めるのだ。
会社は、中間管理職前後の社員がお互いを意識することから発生する競争心を逆手に取るようなマネジメントを行う。
こうした中では、顧客や市場ではなく、社内から自分がどう見られるのかという評価が優先する。そうした中で、社内の「不正」を見つけた時どのような反応になるのだろうか?
絶対的な物差しを基準に判断する=不正を告発するのか、それとも、長いものには巻かれろということで、見て見ぬふりをするのか・・・?
残念ながら、30代以降の労働市場が外側に解放されていない日本の雇用環境では「自分の出世を犠牲にできない」「今の会社を辞めても条件が良くなるか分からない」といういくつかの判断により、結果的に見て見ぬふりを決め込むことが多くなる。
こうしたことから、上位の役職者になればなるほど自分の社内での評価を気にするがゆえに、上位者の意向を無視しては意思決定ができなくなる。かくして日本企業一般は、意思決定が遅くなる。決裁権限以内の意思決定であっても、その上位者にお伺いを立て、意向を確認した後で決裁を通すというのは、日本企業では普通のことだ。
だが、多くのグローバル企業では、決裁権限以内のものを上位者にお伺いを立てることが続くと、「意思決定ができない人」という評価が下る。
日本では、同質性から生じる文化、解放された労働市場の欠如等から、結果的に自分の絶対的な価値判断の尺度ではない意思決定がされてしまう。隠ぺいされた不正を正すという絶対的に正義な行為により、自分自身の便益への影響や自分の組織(部、課、「仲間」)への迷惑がかかるかもしれないという考え・・・これが隠ぺい体質につながる。
今回のオリンパス社の経緯は、こうした中でおそらく代々の社長以外の多くの上級役員や本部長レベルでも、「知ってはいたこと」「噂にはなっていたこと」が、正面から挑まれることなく約20年もの長きにわたってたなざらしにされていたということだ。
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