エールフランス航空、日本就航65周年を迎えて歴代のユニフォームファッションショーを開催

プレスリリース発表元企業:エールフランス航空

配信日時: 2018-01-11 15:30:00

2017年11月27日に日本就航65周年を迎えたエールフランス航空は2017年12月14日、駐日フランス大使公邸にて記念レセプションを開催し、歴代の客室乗務員ユニフォームのファッションショーを開催しました。当日披露されたのは1952年日本就航当時に着用されていたものから現在までの全13着です。これらの制服は全て当時実際に着用されていた、オリジナルです。現在もエールフランス航空本社にある文化遺産部で大切に管理され保管しています。

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勢ぞろいしたエールフランスのユニフォーム


世界のファッションの中心地、フランスはいつの時代も新しいモードを創作し、流行を発信してきました。そのフランスのフラッグシップエアラインであるエールフランス航空のユニフォームは“世界で最も美しく、エレガントな制服”と言われています。エールフランス航空ではお客様の目に触れてブランドのイメージを作る制服の大切さにいち早く気づき、フランス、パリの名高いクチュールメゾンやデザイナーに製作を依頼しています。流行のファッションを身にまとい、世界中の都市へ向うエールフランス航空の客室乗務員はフランスのファッション大使、といった役割を長年にわたり担ってきました。世界中の空港でエールフランスの客室乗務員の制服はパリのモードとして注目を集め、常に人々の憧れの的となっています。
エールフランス航空の制服は、単なるユニフォームではなく、フランスのファッションの歴史を体現しているのです。また、エールフランス航空はひとりひとりが自分の個性に合わせてさまざまなアイテムをコーディネイトして装う、「ワードローブ」という制服の画一性を超えたコンセプトを生み出しました。「ワードローブ」方式ではロング、ショートなどジャケットの長さ、ボトムはパンツあるいはスカート、ワンピース、インナー以外にスカーフや、赤と紺の2色から選べる手袋、ベルトなどの小物も好みで選択できます。エールフランスの客室乗務員は1人ひとりが自分に一番似合うスタイルを探し、コーディネイトして制服をファッショナブルに着こなしています。


【パリから東京へ、制服と共に歩む65年の歴史】
1952年:ジョルジェット・ド・トレーズ
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1951年から着用されたフェミニンなシルエットのスーツ。細く絞ったウエスト、ひざ下までのタイトスカートは当時の流行だった。

1963年:クリスチャン・ディオール
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世界的なオートクチュールメゾンに依頼した最初の制服。夏の水色のワンピース、紺色の冬のスーツ、共にステッチ使い、ベルトやブラウスの胸元のリボン飾りに日本の帯をイメージした当時のモチーフが使われている。複雑な型紙で、外から見えない隠しポケット、一見ツーピースに見えるウエストラインの切り替えやほっそりしたラインを作る微妙なダーツなどにクチュールメゾンのテクニックが駆使されている。

1969年:クリストバル・バレンシアガ
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女性を最も美しく見せるデザイナーと呼ばれた伝説のバレンシアガのデザイン。ペールピンクとサックスブルーの夏のスーツは短い袖丈、ミニスカートで当時の流行の先端。濃紺の冬服のスーツにはブーツやハンドバッグなどの小物が初めて加わった。

1978年:カルヴァン
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「ワードローブ」コンセプトが初めて導入され、さまざまなアイテムの中から自分で選んでコーディネイトし、個性を生かす着こなしが生まれた。赤とブルーの千鳥格子がモチーフ。エールフランス航空ではトリコロールの白、赤、青(紺)を基本色としている。

1987年:この年、ルイ・フェロー、カルヴァン、ニナ リッチの3つのメゾンにユニフォームの製作を依頼した。選ぶのに迷ってしまうほど、色々なスタイルが提案されている。
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-ルイ・フェローの爽やかな2色のシャツワンピース。リボンは前に結んだり、ネクタイ結びにしたりと、お洒落なアクセサリーとして活躍した。
-カルヴァンのワンピース。濃紺地に白い襟、白いカフス、ストライプのボウタイ。乗務員から圧倒的な人気を博した紺色のワンピースは18年に渡って愛用された。

1990年代:ニナ リッチ
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エールフランス航空はエールアンテール、UTAを傘下に収めた。その結果エールアンテールで着用されていた制服がエールフランス航空の乗務員のワードローブに加わった。

2005年:クリスチャン・ラクロワ
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エールフランスの基本色、紺色を基調とし、サッシュベルト、手袋、ベルトなどの小物で赤が使われてアクセントを効かせている。ジャケットの長さは3種類、パンツ、スカート、ワンピース、スカイブルーのカットソーやブラウスなどのインナーも数種類用意されている。コーディネイトでさまざまな着こなしが楽しめる。ワードローブのコンセプトが十分に生かされ、アイテムの多さでは他のエアラインの追随を許さない。


【就航から現在まで、エールフランスの歩み】
パリと東京を隔てる直線10,000キロの距離。エールフランスにとってこの路線の就航は夢のような計画でした。第二次大戦後、パリ-東京路線(1950年代までTOKIOと表記されていた)への路線開通が可能になりました。1952年11月24日に航続距離の長いロッキードコンステレーションL749がパリを出発しました。ベイルート、カラチ、サイゴンの3ヶ所の寄港地を経由して51時間の旅でした。パリと東京は当初週1便、そして後に2便で結ばれました。シャンゼリゼ路線と呼ばれたこの路線で34人の乗客はラグジュアリーな旅をベッドになるシートとシャンパンを供した食事で満喫しました。
1958年にはスーパースターライナーが北極航路をアンカレッジ経由で開き、3,000キロ航路が短くなって約30時間に飛行時間が短縮、その後ジェット機の導入によりボーイングB707で19時間に、1986年には直行便の開設で12時間に短縮されました。現在エールフランス航空は日本-パリ間をボーイングB777で1日最大4便運航しています。
2018年夏期スケジュールでエールフランスは更に路線を強化し、週26便で日本とヨーロッパを結ぶ予定です。羽田発が週12便、成田発7便、大阪発7便です。
エールフランス航空の貴重な日本線の歴史映像は下記サイトでご覧いただけます。
http://www.airfrancelasaga.com/en/content/65-years-service-paris-tokyo


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