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未上場企業の上場パートナー:ジャフコのPBRが0.7倍台とは如何なものか!?
ジャフコグループ(8595。東証プライム。以下、ジャフコ)。専業VCで最大手。バイアウト投資(買収先企業の価値を高め売却等を手掛ける)にも注力。
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収益動向はIPO数/取引金額に左右される。例えば2023年3月期は「49.2%減収、44億1400万円の営業損失」。取扱IPOは5社に留まり市場環境の厳しさもあり、投資倍率低下/キャピタルゲイン低水準を余儀なくされた。
対して今3月期第1四半期は相場環境の好調、IPO数の増加で「前年同期比171.7%の営業増益」となった。がIPO関連者の口からは「ここにきての大荒れ相場が、IPO予定組に与える影響が危惧される。先延ばし企業の出現が否定しきれないからだ」といった見方が指摘されている。
ジャフコは1973年2月、日本合同ファイナンスとして設立された(1987年に旧店頭市場に上場、2020年現社名に)。いまは野村證券グループ株を買い取り独立系専業VC。がその生い立ちは、野村證券の法人顧客開拓(旧山一証券を追い抜く)の部隊として生まれた。中堅中小の未上場企業の資金面のフォローアップ部隊の任を果たした。
野村證券の上場を視野に入れた新規法人の開拓は、法人営業担当の田淵節也常務(後の社長)が産み落とした、企業部で展開された。初代部長は大森康彦氏。最年少部長だった。詳細は拙著『野村證券企業部』(1984年刊、かんき出版)に譲るが、大森氏からこう聞かされた。
「田淵さんという人は、中途半端じゃなかった。未上場法人を取り込み主幹事証券トップになるために人材面で、東洋エージェンシーというスカウト会社を設立した。一方、金融面でフォローする企業としてジャフコを立ち上げた。この車の両輪を前面に押し出し、我々は中小法人の門を叩き歩き続けた。
未だ銀行からまとまった資金の融資を受けられない企業には効果的だった。それでも必要な金額を引き出せない時には、野村證券から借り入れた国債を担保にした。
そうして数を積み重ねていく一方で、ジャスダッククラブといった会なども組織していった。そこでは例えば新規上場を掴み取った企業の、成功事例などが語られ共有していった。またクラブの会員間のビジネスの結びつきが実践されていった。
色々思い出はあるが東京スタイルが上場に際し当時の専務:高野義雄(後の社長)さんが、『当社のメインバンクは野村證券だ』と公にした発言は忘れられない。」
ジャフコでは今日までの「累積投資社数:4196」「累積投資上場会社数:1034社」とし、「シード段階36%/アーリーステージ段階64%」(2022年度実態)としている。がそんな中堅中小企業の時価の予想PBRが0.74倍は如何なものか・・・(記事:千葉明・記事一覧を見る)
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