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串カツ田中はなんとも非常識?な企業、とする理由
7月に発売した「卓上フライヤー」(画像: 串カツ田中ホールディングスの発表資料より)[写真拡大]
9月1日の日経ビジネス電子版が『串カツ田中の非常識戦略 フライヤー・串カツセットが人気の理由』と題する記事を配信した。新型コロナウイルス禍で外食業界は、テイクアウト・デリバリー・通販事業に活路を見出そうとしている。そうした中、串カツ田中HDが挑んだのが「家庭用卓上フライヤーと冷凍串カツ」をセットでEC販売するという取り組み。
【こちらも】串カツ田中に覚える、縁は異なもの味なもの
7月1日にフライヤー100台と串カツ10~50本セットを売り出した。僅か5分で完売。7月末には500台のフライヤーを仕入れ再発売。2週間足らずで在庫ゼロに。「非常識マーケティングは何故、成功を収めたのか」と記者氏が書いている。
興味深く読んだ。読者各位にもご一読を薦めたい。一読後、私の頭には「そもそも串カツ田中は、非常識が積み重なって誕生した企業」という思いが浮かんだ。
2020年6月22日の企業・産業欄に、『串カツ田中に覚える、縁は異なもの味なもの』と題する拙稿を投稿した。お読み頂ければ「串カツ田中は、非常識が積み重なって?生まれた企業」であることを、理解してもらえると思う。
原点は大阪・西成で育った田中洋江副社長の想い。「父の独特のレシピで作る串カツは、近くに沢山あった串カツ屋のどこよりもおいしかった。いつか父のレシピで作る串カツで商売を、という思いがあった。」
ではその想いは、どういう経過を経て実現したのか。
(I)社長の貫(ぬき)啓二氏はトヨタ車輛の脱サラ組。「自分の店を持ちたい」一心で、27歳で退職しショットバーを開業した。早々に客になったのが「左党」の洋江氏。しかし自らも酒好きの啓二氏だったが、カクテルを作るときは「教科書を見ながら」という状態。見かねた洋江氏が広告代理店勤務の傍ら「私も手伝う。パート代は私のお酒代とツーペーね」。
(II)が、長く続くはずがなかった。2001年に「デザイナーズレストラン」に衣替え。当たった。TVにも取り上げられた。勢いで2人は03年に東京・青山に個室型の「京懐石料理店」をオープン。スタッフ不足を凌ぎながらもなんとか日にちを重ねたが、リーマンショックの影響にもろに晒された。結局、7000万円の借金を背負い込んだ。
(III)途方に暮れる啓二氏に洋江氏が持ち出したのが、父親が残したレシピを活かした串カツ屋だった。
たられば、を覚悟で記すと啓二氏が「何が何でも自分の店を」に執着し洋江氏が「左党」でなかったら今日の串カツ田中は存在していたかどうかは「???」。
串カツ田中HDは7月15日に今11月期を期初計画の「売上112億円、営業利益2億8000万円」から「57億円、23億円の営業損失」へ大幅に下方修正した。その一方で同じ7月に前記の通り「卓上フライヤー+冷凍串カツ」のECで「バカ受け」をしている。
「B級グルメトップ」を標榜する串カツ田中は、常識を超えた?企業のようである。株価も然り。9月10日に年初来高値(2310円)を更新し時価は2000円台終盤と高値圏での踏ん張りを見せている。予想PERは294倍という非常値。IFIS目標平均株価2400円。
なんとも非常識?と思いませんか。(記事:千葉明・記事一覧を見る)
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