日銀・黒田総裁の白旗と残された負の遺産 後編

2021年6月2日 08:13

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 日銀の異次元金融緩和もむなしく、日本でインフレ率が上がらなかった理由については、当事者である日銀も含めて様々な考察がなされているが、「バブル崩壊」を経験したデフレマインドの固着化が強すぎたことが一因だ。

【前回は】日銀・黒田総裁の白旗と残された負の遺産 前編

 1990年代のバブル崩壊によって、多くの人々の栄枯盛衰や人生転落を目の当たりにしてきた記憶が、深く刷り込まれていることは間違いない。つまり、円安とゼロ金利によって、資産を預金しているだけでもその価値は失われていく状態であったにも関わらず、積極的な消費や投資ではなく、節約や貯蓄を選んでしまうのだ。

 もちろん、100円ショップの普及や、インターネット上での価格比較についても、デフレマインドを助長するものでしかない。人々にとっては、とにかく「安かろう」であることが重要であり、同じ商品を少しでも安く手に入れることが、生活の知恵とされてきたのである。

 しかしながら、インフレ率の上昇という定量目標を達成できていないにも関わらず、日銀が我慢強く金融緩和を続けた理由には、もう1つの視点があることを見逃してはならない。それが、企業に対する金融緩和であり、ゼロ金利政策による法人への資金供給(低金利融資)と、ETF購入による間接的な株価下支えである。ここに、法人税減税も加えられた。

 つまり、インフレ率上昇懸念による国民の消費喚起を促すことに失敗したとしても、企業に対して資金を潤沢に投じれば、結果として企業の売上や利益が伸び、国民の賃金上昇へとつながるという考え方だ。そして、賃金が上がったと国民が実感できれば、消費が自然と促されるという循環である。

 ただし、この考えも甘かった。ETFの購入によって、たしかに大手の上場企業への支援にはなったが、非上場企業である中小企業にまでその恩恵が行き渡らなかったのである。つまり、「富める者が富めば、富は貧しい者にも広がる」というトリクルダウンとはならず、大手企業のみが恩恵を受け、国民の貧富差を広げる結果となっただけなのである。

 さらに問題なのは、恩恵を受けたはずの大手企業であっても、潤沢な資金によって設備投資や生産性向上につながる積極的な経営が行われることが少なく、人件費や経費などのコストカットや営業外利益などの消極的な経営によって、利益を伸ばしているという実態があることだ。日本のデフレマインドがここまで根深かったといえるだろう。

 結果的に、失策を認められなかったことで、金融緩和の縮小(テーパリング)を切り出せないまま、コロナ禍に見舞われてしまったのである。コロナ禍後に中央銀行が機能したアメリカと異なり、日銀は目立った動きを見せていないのはこのせいだ。これ以上は何もできない。

 コロナ禍によって経済の先行きが見通せないどころか、オリンピック特需も期待できない状況で、それでも株価が実体経済とは異なる動きを見せてきたのは、間違いなく日銀の下支えがあったからに違いない。そんな株価も、アメリカ市場とは異なり、3万円台に乗せた後は、早い段階で頭打ちとなっている。

 もはや八方が塞がった状態ではあるが、任期中に少しでもテーパリングに舵を切っておきたい。残り1年の任期を後目に、黒田総裁はしずかに白旗を振ったのだろう。しかし、問題はその後である。もはや麻薬状態といわれている日本の金融政策を、どう幕引きしていくか。残された負の遺産は大きい。(記事:小林弘卓・記事一覧を見る

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