昔「3ナンバー」はステータスだった

2021年5月28日 08:55

印刷

Photo:クラウンエイト(トヨタ公式資料)

Photo:クラウンエイト(トヨタ公式資料)[写真拡大]

●5ナンバーと3ナンバー

 「小型乗用車(5ナンバー)」の寸法枠は全長4700mm×全幅1700mm×全高2000mmで、これを超えると「普通乗用車(3ナンバー)」となる。

【こちらも】改善された現在の車・ドアハンドル

 昔は「5ナンバー」と「3ナンバー」で税金が格段に異なり、両者の間には大きな格差があった。

 因みに、排気量にも制限があり、ガソリン車の場合は2000ccが上限で、これを超過すると「普通乗用車」となる。余談ながら、ディーゼルエンジンはこの限りでは無く、ロータリーエンジン車の場合は普通のガソリンエンジン車の馬力と見合う目安から、実排気量の1.5倍で計算した。

●5ナンバー枠に収めて税負担軽減

 小型車と普通車で税金が大きく違った当時、ボルボのドアハンドルが飛び出しているだけで1700mmを超えて普通車(3ナンバー)になったのを、国内のボルボユーザーの声を受けて、日本代理店はボルボ本社にアピールし、結果的にはボルボがドアハンドルの形状を埋め込み型に変更した事もあった。

 結果、僅かの車幅の違いで小型車(5ナンバー)枠内に収まり、税金が大きく下がったのだ。

●オーナーカーの最高峰

 当時の国産車「5ナンバー」枠内最大寸法の車種は、クラウン、セドリック、グロリアが代表だった。

 パブリカ ―> カローラ ―> コロナ ―> マークIIと昇り詰めたオーナーカーの頂点がクラウンで、トヨタの有名なCM、「いつかはクラウン」は、これを見事に表現していたと思う。

 5ナンバー枠を超えると、税金が大きく跳ね上がる3ナンバーとなり、見た目も歴然と大きな「アメ車」に代表される様な、でっかい車になった。だから、当時のイメージは「3ナンバー」イコール「アメ車」であった。

●クラウンエイトという車

 クラウンの2代目であるRS40系(1962年~1967年)をベースに1964年に登場した「クラウンエイト」という車がある。

 この車は、乱暴な表現をすれば、5ナンバーのRS40系の「全長4610mm×全幅1695mm、ホィールベース2690mm」のボディを真上からタテ、ヨコ十文字に切って、全長と全幅を拡げ、「全長4720mm×全幅1845mm、ホィールベース2740mm」と一回り大きくして、日本初の8気筒エンジンを搭載した車だ。

 アメ車に代表される「運転手付きの大きな車」に対抗する車だった。

 1967年に登場する、「センチュリー」の前身ともいうべき車で、「センチュリー」と「プレジデント」が代表する「本格3ナンバー世代」の先駆けとなった。

●課税方式変更で3ナンバーが増えた

 1989年に3ナンバー車の自動車税の課税方式が、排気量の細分化や排気量のみで課税される方式に変更されて同額となったため、3ナンバー車が増加した。

 極端な事をいえば、「アルファード」や「センチュリー」のボディに「ヤリス」のガソリン1L車(996㏄)に搭載されているのと同じエンジンを載せたら、自動車税はヤリスと同額で済む。勿論ナンバーは「3ナンバー」。

 従来、国産車は全長に対して全幅が小さく、真上から見るとヨーロッパ車に比べると細長い印象が強かった。直進性に重点を置くなら「細長い方」が向いているが、コーナリングに重点を置くなら、幅広の「太短い方」が向いている。

 国産車は、小型車の全幅規制を守るために、本来は設計者が必要だと考える理想以下の寸法で作られていたのだろう。これが排気量による課税方式になって、全幅を気にせずに設計する事が可能となった。

●結構下のクラスも3ナンバーが主流に

 昔、街の有料駐車場には「3ナンバーお断り」との掲示がなされた所も珍しく無かった。しかしこれは、「3ナンバー=大きな外車」の意味だった。

 当時でも、たとえ小さな車体でも、排気量が2000ccより大きなエンジンを搭載した車は3ナンバーだったが、入庫して来た車種で判断する駐車場側は「でっかい車はお断り」の意味で掲出していた筈だ。

 最近は5ナンバー車の方が少なくなった様だ。フィットやマーチ、ヤリス(ヴイッツ)、デミオ(MAZDA2)等のクラスは未だ5ナンバー枠内に留まっているが、それより上のクラスになると、殆どが3ナンバーになった。

 昨今、もう3ナンバーはステータスでも何でも無くなった。(記事:沢ハジメ・記事一覧を見る

関連キーワード

関連記事