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チューンドカー市民権を確立 (1/2) 「シャコタン」と言われた時代 「東京オートサロン」
「チューンドカー」の市民権が確立されてきているようだ。世界最大のカスタムカーイベントと言われ始めた「東京オートサロン2020」が今年も開かれた。2020年1月10日~12日の3日間、会場は幕張メッセだった。今年の合計来場者数は33万6060名で、昨年の33万666名を超えて過去最高の動員数を記録した。
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東京オートサロンは1983年、チューニング雑誌「Option」の初代編集長である稲田大二郎が発起人となりスタートした。「東京エキサイティングカーショー」と名乗っていたが、1987年「東京オートサロン」に改名して現在に至っている。
始まった頃は「暴走族の祭典」と受け止められ、世間からは眉をひそめられていた。「シャコタン(車高(最低地上高)を落とした状態のこと)」にした違法改造車がマフラーも取り払って爆音をとどろかせていたことから、昭和30~40年代頃は「カミナリ族」と呼ばれていた。つまり、「暴走族」の始まりだ。
「シャコタン」の語源は「車高が短い」からだが、本当に単にスプリングを短く切っただけのクルマもあった。そのためサスペンションのストロークが短く、乗っていると激しい突き上げのクルマが出来上がっていた。
かつてはそんな「カミナリ族」に高速道路で囲まれることもあったが、その時は少しずつ速度を上げることにしていた。例えば、100km/hで走っていて取り囲まれたのなら時間をかけて120km/hにし、15分程度かけて140km/h巡行とする。そして、30分程度並走したころには160km/h巡行とする。
すると、次第に暴走族集団には脱落するクルマが出始める。1時間ぐらいたった時、180km/h巡行として周りを見ると、暴走族のクルマは1台もいなくなる。「シャコタン」にしているものの、振動が激しくバランスが取れない彼らのクルマでは160km/hぐらいが限界で、30分も運転を続けられないのだ。疲労して脱落していくのだ。その後、200km/hぐらいまで速度を上げて振り切ってしまうことにしていた。
この間、警察が取り締まってくれることはなかった。断っておくが、これは古き良き時代のことだ。
しかしそうしていたのは、暴走族に囲まれ、動揺して変に速度を落とすと何をされるか分からないからだった。仲間のようなふりをしてドライブを楽しむふりをしたことさえあった。
こんな時代だったから、「チューンドカー」に市民権はなかった。それに、160km/hを超える巡行スピードでは、当時の市販標準車では危険が伴うことは間違いなかった。そこでチューニングしておくことを覚えたのだが、それにはエンジンの出力を上げる必要はほとんどなく、足回りのチューニングで事足りた。
現在のミニバンやSUVなどでは、少し条件は違うことは確かだ。つまり、箱型のミニバンは160km/h以上での空気抵抗の高まりが半端でなく、強引に巡行すると燃費がひどいこととなってしまう。やはり120km/h以上の高速域では「前面投影面積」の小さな車を用いる必要がある。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
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