関連記事
VW・ビートル生産・販売終了 空冷ボクサーエンジンRRをしのぶ
フォルクスワーゲン・ビートルは、とても短い紙面では語りつくせない「ザ・クルマ」と言うべき存在である。正確に言えば、フォルクスワーゲン・タイプ1の思い出話となるのであり、このほど生産終了となる『フォルクスワーゲン・ザ・ビートル2.0 Rライン マイスター(FF/6AT)』は、「初代のタイプ1」とは似ても似つかない車ではある。最終生産車はフォルクスワーゲン・ゴルフをベースにしたFF車であり、タイプ1の空冷ボクサーエンジンRRとは別物である。「タイプ1のスタイルだけ模したゴルフ」と見ておくのが正しいのかもしれない。
【こちらも】VW、ザ・ビートルの特別仕様車「マイスター」を発売
1933年、ドイツ首相に就任したヒトラーにフェルディナント・ポルシェ博士が近づき、国民車構想を提唱していた。ヒトラーは国民に対する「人気取り」としてアウトバーン建設を進めており、当時は高級であった自動車を国民一人一人に提供する構想をぶち上げ、ポルシェに依頼したのだった。そのためか、半世紀ほど前は街中で「ビートル」を見るたびにヒトラーを思い出したものだが、現在ではヒトラーをイメージするものは極めて少数であろう。
学生時代に芸能カメラマンの運転手のアルバイトをしたことがあるが、そのカメラマンのクルマがタイプ1のビートルだった。当時は、芸術家などが乗る「洒落もの」のクルマとのイメージがあった。「音がうるさく」「走らない」印象が強く残っているが、その当時は古いビートルが街中に多かったせいか、丈夫なクルマである印象は残っている。
フォルクスワーゲン・タイプ1の基本構成は、のちのポルシェ・911シリーズによく似ていた。911は現在でもRRレイアウトを取り、強烈なオーバーステアをドライビングテクニックで駆使できる「ポルシェ遣い」を必要としている。1998年のニュービートルからは、タイプ1とは別物のクルマになったと言ってよい。
ヒトラーの国民車構想にはフォードの生産方式の採用があり、「同じものを大量生産により安くする」「モデルチェンジをしない」とする基本があった。それは世界中の自動車メーカーに強い影響力を与え、ホンダ・シビックが登場した時は同じように「モデルチェンジしない」と言って国民車のイメージを出そうとした。しかしこのころ、すでに「GM方式」とも言われた「定期的にモデルチェンジする」現代流の考え方に移行しており、さらには「トヨタかんばん方式」が秘密裏に開発されていた時期であった。
というように、歴史のあるフォルクスワーゲン・タイプ1のことを語れば、話題は尽きない。いずれまた・・・。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
スポンサードリンク
関連キーワード