ホンダ・アコード10代目が2020年日本発売 世界に遅れること2年 ホンダはどこの企業?

2019年8月8日 09:03

印刷

ホンダ・新型アコード(海外仕様)(画像: 本田技研工業の発表資料より)

ホンダ・新型アコード(海外仕様)(画像: 本田技研工業の発表資料より)[写真拡大]

 初代アコードの登場は1976年。ハッチバックスタイルの大衆車としての登場であったと記憶している。それまでのホンダの4輪車としては、軽四輪枠の当時360cc制限である時代で、ホンダ・N360で大ヒットを飛ばし、普通車としてはホンダ・1300とホンダ・1300クーペで話題をさらった。

【こちらも】2020年にフルモデルチェンジ予定のホンダ「アコード」、HPで先行公開

 しかしそれまでは技術のホンダであり、「F1に挑戦するホンダ」のイメージで、高性能車、つまり当時は「高回転型エンジン、高馬力」であった。ホンダ・S500、S600、S800とオープンカーを発売するなど、スポーツイメージ一色だったのだ。

 確かに、ホンダ・1300セダンに積まれていたエンジンは2重空冷1300cc100馬力で、当時の1500ccセダンの中心であったコロナ、スカイライン、ブルーバードなどが70馬力であったのと比較すると、大変高性能であった。しかし、高回転型エンジンのため、運転には多少の経験を必要としていた。現代のクルマと比較したら、街乗りでもとんでもなく乗りにくいものだった。

 それが、「ファミリーカー」と呼ばれるジャンルで初代ホンダ・アコードを発売し、「普通のクルマ」と思わせたのだ。ハッチバックスタイルのセダンは当時としては珍しく、ヨーロッパ調で室内を広く取るスタイリングを持ち込んでいた。当時のミニ(Mini:現在はBMWブランド)が参考とされたのであろうか。

 そして、ホンダ・アコードCVCCによって、世界で初めてカルフォルニア排気ガス規制をクリアして見せた。そのため、それまで排気ガス規制に反対していた大手メーカーが一斉に態度を変え、現代の規制に努力する姿勢となったのだ。

 ホンダ創業者の本田宗一郎は学歴がなく、設計図を引くことはできなかったと言われる。しかし、毎朝研究所に現れると、その辺にある板などに前の晩考えたアイディアを書くと、研究員たちが図面を起こし、実物を作りテストすることの繰り返しであったそうだ。

 ホンダ・アコードはしばらく日本国内でも人気車種であったのだが、その後グローバル企業になってホンダは日本企業であることを忘れたのであろうか?新10代目アコードも北米、アジアなど世界では発売されて、もう2年が経とうとしている。日本市場に投入するのをこれほど遅らせる理由は何なのか?低迷していたF1でもようやく実績を残し始めたようだが、すでに「日の丸ホンダ」のF1カーを思い出せる世代も少なくなりつつある。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

関連キーワード

関連記事