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一休創業者:森正文氏はジャパニーズドリーマー第1号!?
一休は、ホテル・旅館の予約サービスサイト「一休.com」をはじめ計8つの予約サービスサイトを展開している。
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森正文氏が1988年に設立した。がいま同氏は一休から完全に身を引いている。背景は後に譲るが創業当初の森氏は幾多の苦難と遭遇し、それを潜り抜けた。
森氏は元日生マン。「人生は一度。自らの手で事業を」という思いが募り、事業も定めず兎にも角にも脱サラした。30歳にも至らない時点だった。手元資金は約300万円。「これは」と思う事業に出会うまで時間はかからなかった。だが300万円では、資金不足。手を突っ込んだのは株式投資だった。しかし失敗。逆に200万円を失ってしまった。頭を抱え込む森の前に日生時代の人脈から、こんな話が舞い降りてきた。氏に起業家としての「運」があったということだろう。
夜桜見物に好立地で知られていた東京・新宿のホテルの「スイートルームを売ってみないか」というのだった。米国でオークションサイトブームが起きていた時期、楽天がオークション事業に本格参入した頃でもあった。森氏は一泊50万円也で“スイートルーム”の売りに成功した。その実績が件のホテルから「他の部屋も売って欲しい」に繋がった。森氏はこれを契機に高級ホテル・高級旅館事情を徹底的に調べ上げた。そして「これはいける」と判断。2000年にホテル・旅館の「通販予約サイト」を立ち上げた。
3カ月で単月黒字、1年で累損を解消し賞与の支給にまで至った。掘り起こしきれない高級ホテルの潜在ニーズの状況や、PC時代の本格化という時代が幸いした。が、森氏はIT関連企業のトップには嗅ぎえない泥臭さを有していた。当初は3人で掲載ホテルの開拓を進めたが、出陣前には「元は取って戻る」と自らに言い聞かせるように檄を飛ばしていた。
それが16年の2月、どちらから持ち出した話かは分からない。が、ヤフーがTOBで一休を完全子会社化したのである。「一休は、自分がいようがいまいが全く問題なくなった」とだけ公にし、森氏は持ち株の全てを売却し一休から完全に身を引いた。起業家が一度は口にする「業を起こし成功を得たら持株売却も選択肢」という、ジャパニーズドリームの実行者を私は彼しか知らない。(記事:千葉明・記事一覧を見る)
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