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カタルーニャが独立を宣言、スペイン政府との対立は決定的か
カタルーニャの旗。[写真拡大]
スペインのカタルーニャが、事実上の独立宣言に踏み切った。州議会に「スペインからの独立」を提案する議案が提出され、日本時間の27日22時30分頃、これが賛成多数で可決されたのである。
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一方、スペイン政府はかねてより「カタルーニャの独立をめぐる動きは違法なものであり、実効力を持たない」とする態度をとっており、プチデモン州首相の解任、州議会の解散などの対応を講じると見られ、事態はついに最も深刻かつ重大な局面を迎えたといえる。
ここで歴史を大きく振り返ってみよう。まずはローマ帝国だ。イベリア半島は、かつてその全域が、ローマの支配するところであった。それを西ゴート族が征服し、さらにイスラム勢力が侵攻してきて、のちにフランスを形成するフランク人との間に境界を策定した。現在のスペインの東北部にあたる部分はキリスト教圏に残り、フランク王国の勢力下に「スペイン辺境領」を形成した。これが現在へと至る、カタルーニャのルーツである。
987年、バルセロナ伯がフランク王国から独立。そして1137年、バルセロナ伯領はアラゴン王国と同君連合を結成する。ここにカタルーニャの最盛期が始まる。
この国は1479年、平和裏にスペイン王国に統合された。しかし、1641年、カタルーニャはフランス王をバルセロナ伯に迎えて独立。この騒乱は1659年まで続いたが、スペイン王国の勝利に終わった。
さらに1873年、バルセロナの出身であったスペイン共和国初代大統領がカタルーニャ共和国の成立を宣言した。この騒動は年内に収束し、大統領は失脚した。
1931年、カタールニャ共和主義者による独立宣言が行われ、カタルーニャの自治政府が成立した。この自治政府は1934年、スペイン連邦共和国からの独立を宣言したが、スペイン政府はすみやかに軍隊を投入、事態はあっという間に収束された。
そして2017年、カタルーニャの独立は5たび宣言された。なお、EUは既にスペイン政府への支持を宣言しており、州の側に立って動く可能性があるのは1万7,000人を擁するカタルーニャ州警察であるが、彼らの中にも独立賛成派と反対派の双方がいて、まだその帰趨は明らかではない。
いずれにせよ、事態が大詰めを迎えたのは間違いない。今後の展開は予断を許さないといえよう。(記事:藤沢文太・記事一覧を見る)
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