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「仕事量」が適切でなければ「時間によらない労働」は成り立たない
高度プロフェッショナル人材制度の導入や裁量労働制の範囲拡大など、労働時間によらない賃金支払いでの働き方が、ずっと議論されてきています。
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残業時間の上限規制や労働時間把握の義務化など、長時間労働を防ごうという動きが活発になる一方で、このような労働時間管理や残業代支払いの制約を外そうという動きも進んでいて、何かバーター取引のような感じが満載なので、これらの議論に対する信頼がいま一つできずにいます。矛盾する話なのに、どちらもメリットしか言われないからで、そんなうまい話はあり得ないからです。
私個人のことで言えば、企業に雇われてはいないので、これがどんな形になったとしても、自分の働き方に直接関係はありません。企業と合意した契約に基づいた「請負」の形で仕事をしているからです。企業に勤める人との最も大きな違いは、その仕事の案件ごとに契約交渉をするということです。
ではそこで、どんなことを頭に置いて交渉するかといえば、基本的にはその仕事の「量」と、そこに支払われる「金額」です。そして仕事の「量」は、多くの場合で稼働が予想される「時間」に換算します。「量」に対して「金額」が見合わない場合、仕事の「量(稼働時間)」を減らすか、「金額」を積み増してもらうかのいずれかしかありません。
その仕事自体のやりがいや自分の経験上のメリット、契約期間や場所などの周辺事情で多少判断基準が変わることはありますが、仕事の「量」と「金額」の組み合わせで考えることに変わりはありません。これが折り合えば契約成立ですし、折り合わなければ仕事は始まらないということになります。
一度仕事が始まれば、そこから先は交わした契約によりますから、仕事量の見込みが多少甘かったりしても、何とか吸収しながら仕事を進めます。もちろん先方事情で作業が増えているような場合は、改めて交渉することもあります。
私がここで何が言いたいかというと、もしも企業において「時間に縛られない働き方」と言い出したとして、企業で働いている人がこれと同じような交渉ができるのだろうかということです。たぶん答えはノーであり、少なくとも「金額」の部分については、その企業の給与体系に基づいてほぼ固定的に決まっているだろうということです。
そうなると、私たちでいう契約交渉かできる余地は、仕事の「量」だけになります。つまり、このような制度は仕事量に見合った賃金支払いがなければ成り立たず、賃金が固定的であるならばなおさら、交渉という形をとるかどうかは別にして、仕事の「量」が適切でなければなりません。
そこでは仕事の「量」を前もって見積もることが大事になりますが、顧客に対してはきちんとやるのに、社内のこととなるとあまりしっかりとはおこなわれないことが多いです。
また、会社と社員、上司と部下という関係では、どうしても対等な話し合いにはなりづらく、会社や上司の言いなりになりがちで、そうなると今まで以上の長時間労働が合法的におこなわれてしまうなどということが起きないとも限りません。
高度プロフェッショナル人材制度や裁量労働制は、私はそういう考え方があってもよいと思っています。ただ、特に「仕事量」に関する捉え方が今の感じでは、これらの制度はたぶんあまりうまく行かないと思います。「仕事量」を事前に見積もることは確かに難しい部分がありますし、例えば見込み違いが起こった時に、それをどうやって見直して反映していくかということも考えなければなりません。
「時間によらない労働」「成果に基づく報酬」というのは、今までのように雇用されて働くということから、少し請負のような仕事のしかたにシフトするということです。請負ならば契約条件が重要であり、そこに交渉の余地や裁量の余地がなければ、そもそも仕事を始める条件が成り立ちません。
会社も社員もかなり高い意識を持たなければ難しいことですが、それができればよい働き方になる可能性はあります。でもその難しさはあまり言われず、サラッとメリットだけ宣伝されていることが、私のように仕事量と金額をいつも意識している者にとっては、「ただ仕事を値切ろうとしている」ように見えてしまって、どうも信用ができずにいます。
※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら。
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