【コラム 山口一臣】大飯原発差し止め判決のまっとう過ぎる「凄い中身」(下)

2014年5月23日 13:52

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記事提供元:さくらフィナンシャルニュース

【5月23日、さくらフィナンシャルニュース=東京】

●電力供給の安定性とコストの関係

そもそも日本の裁判所は原発についての突っ込んだ判断から逃げ続けてきた。高度で最新の科学的、技術的、総合的な判断が必要だから、司法の役割は抑制的であるべきだというのがその理由である。

だが、この福井地裁の裁判体はそんな考え自体を否定する。

〈(原発技術の危険性や、それがもたらす被害の大きさが判明している以上)福島原発事故の後において、この判断を避けることは、裁判所に課せられた最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる〉

なんと挑戦的な言葉だろう。上級審の裁判官がこれをどう受け止めるのか。

判決は、原発について判断することは裁判所の重要な責務だと宣言した後、「大飯原発は安全だ」とする関電側の主張の一つひとつに論考を加え、

〈原子力発電所が有する、前記の本質的な危険性について、あまりにも楽観的といわざるを得ない〉

と結論づける。

そして、圧巻なのが次のくだりだ。少々長くなるが引用する。

〈被告(関西電力)は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている〉

〈このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である〉

〈また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである〉

●人格権を優先

凄い。電力の安定供給、コスト低減、クリーンエネルギーといった原発維持・再稼働の三大理由をことごとく否定している。これは、こと大飯原発の再稼働の是非だけでなく、福島事故後の日本が原発を持つこと自体の意味を問うた「画期的」な判決といえる。

だが、よく考えてみると、いずれもしごくまっとうなことを言っているに過ぎないのではないか。「命はお金より大事である」。

人の命を電気代の高い低いの問題と同等に論じるのはおかしい。判決を貫いているのは、そんなコスト論より人格権を優先する考え方だ。昔は、そんなまっとうなことを世間に向かって説諭する大人が少なからずいたものだ。それがいまはいなくなった。

問題はこの判決が高裁、最高裁といった上級審でも維持されるかどうかだ。

残念ながら、その可能性は低いと思う。前出の読売の社説はこう結んでいる。

〈関電は控訴する方針だ。上級審には合理的な判断を求めたい〉。

数は少ないが、地裁レベルでは過去にも原発差し止めを求める住民側の訴えが認められたケースはある。だが、上級審で100%覆されている。100%だ。

逆に言えば、この福井地裁の裁判体は100%覆されることを覚悟のうえで、コスト論より人格権を優先すべきと高らかに宣言したのだ。上級審でこの論がどう逆転されるのか、そして個人的には今回の裁判体を構成した福井地方裁判所民事第2部の三人の裁判官(樋口英明氏、石田明彦氏、三宅由子氏)の行く末に注目したい。【了】

 やまぐち・かずおみ/ジャーナリスト
1961年東京生まれ。ゴルフダイジェスト社を経て89年に大手新聞社の出版部門へ中途入社。週刊誌の記者として9.11テロを、編集長として3.11大震災を経験する。週刊誌記者歴3誌合計27年。この間、東京地検から呼び出しを食らったり、総理大臣秘書から訴えられたり、夕刊紙に叩かれたりと、波瀾万丈の日々を送る。テレビやラジオのコメンテーターも。2011年4月にヤクザな週刊誌屋稼業から足を洗い、カタギの会社員になるハズだったが……。

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